赤鯉坊主 (あかごいぼうず)*
昔、柏原の佐治川の「辺田の渕」という所に、三間(約5m)程の大きさの赤鯉が棲んでいた。
この赤鯉は大蜘蛛に化け、通行人を川に引きずり込んで食べると言われていた。
また、雨の日には美しい女に化け、旅人の笠から落ちる雨垂れの雫に乗って黒井の大名の下へと通うこともあったという。
赤鯉を恐れた村人たちは、ある時、柏原を治める大名へ退治を直訴した。
これを承諾した柏原の大名は、大量の炭火を川に投げ込み、水を沸き立たせて退治するという策を考えた。
そのためには大量の炭が必要になる。この日から村人や家臣総出で炭を集め、赤鯉退治の準備を進めていった。
そんな折、黒井を治める大名が柏原の大名を訪ねて来た。
黒井の大名は「赤鯉を殺すとお家が潰れるという噂を聞いたので、退治するのは止めた方がいい」と忠告した。
だが柏原の大名の決意が固いことを悟ると、黒井の大名は諦めて帰って行った。
炭が集まり、赤鯉退治が翌日に迫った十二月の十三日の夕方、大名の屋敷の前に托鉢僧が現れた。
柏原では十二月十三日は小豆飯にカラシ漬けを添えて食べるという習慣があったので、僧にもこれを振る舞った。
僧は小豆飯とカラシ漬けを平らげると、「赤鯉退治は中止した方がいい。さもなければお家が潰れるであろう」と言って、どこかへ立ち去った。
大名は二度も同じ忠告を受けたことを不思議に思ったが、今更止めるわけにはいかないと、赤鯉退治を予定通り行うことにした。
翌日、いよいよ赤鯉を退治する時がやって来た。
家臣や村人たちは、大量の燃えさかる炭火を一気に辺田の渕へと投げ込んだ。
あっという間に川の水は沸き立ち、まるで溶岩が流れ込んだような熱さになった。
しばらくすると、水面に大小様々な魚と共に、大きな赤鯉が白い腹を晒して浮き上がってきた。赤鯉退治は成功に終わった。
赤鯉の死体を岸に引き上げ、体に刃を入れて捌いていくと、胃袋の中から小豆飯とカラシ漬けが出て来た。
これを見た大名は、昨日の僧はこの赤鯉が化けたものだと気づき、家来に命じて死体を手厚く葬ったという。
『柏原の民話とうた』「赤鯉退治」より
柏原では鯉ですが、岩魚や鰻などが人間に化けて魚の殺生(乱獲)を止めろと忠告する、という話は各地に伝わっています。(『耳袋』『想山著聞奇集』『飛騨の伝説』など)
例えば『想山著聞奇集』には「川に毒を流して魚を獲ろうとすると僧が現れて止められるが、食べ物を与えて追い返す。その後、戒めを無視して毒を流すと大きな岩魚が獲れる。腹を捌くと先程の僧に与えた食べ物が出てくる。僧は岩魚が化けたものであった」という話があります。
丹波の赤鯉は僧だけでなく、蜘蛛や女にも化けることが可能だったようです。しかも人を襲って食べるという凶暴さも持ち合わせています。
ひょっとすると退治を止めに来た黒井の大名も、赤鯉が化けていたものだったのかもしれませんね。