八頭大鹿 (やまたのおおしか)
和銅六年(713)、元明天皇の時代のことである。
八つの頭を持つ巨大な鹿の妖怪“八頭大鹿”が村や禁裏(京都御所)に出没しては、田畑を荒らし家畜を喰い殺し、人々に甚大な被害を与えていた。
そこで天皇は、香賀(甲賀)三郎兼家という武将にこの妖怪を退治するよう命じた。
命を受けた兼家は部下を引き連れ、八頭大鹿の棲む丹波国北部の深山に向かった。
道中、兼家一行は八幡宮で神の加護と武運を祈り、準備を整えて山へ入った。だが、肝心の大鹿がどこにいるのかわからない。
困り果てた兼家たちの前に、どこからともなく二人の童子が現れ案内役を買って出た。彼らの導きで、兼家たちは佐々里川の上流に辿り着いた。
その時、急に辺りが暗くなったかと思うと、地響きと共に八頭大鹿が姿を現した。
八頭大鹿は十六本の角を振り上げて襲いかかってきたが、兼家は怯むことなく弓矢を大鹿に射当てた。
矢傷を負った大鹿は山裾を逃げ惑い、やがて岩の上に倒れ伏したため、兼家はこれにとどめを刺し退治した。
その後、兼家たちは神に勝利を感謝し、この地に八幡大明神を祀る祠を建てたという。
『京都府北桑田郡誌』「土俗伝説」
『口丹波口碑集』「鹿の話」
『美山伝承の旅』「大鹿退治」より
美山町の知井、佐々里、鶴ヶ岡地区に伝わる大鹿の妖怪です。
『知井村史』では、八頭大鹿とは美山に住まう八人のリーダーを中心とした先住民族の暗喩で、朝廷がそれを征服した話だったのでは、という考察がされています。
ちなみに、割と近年(1986年)に出版された『京北の昔がたり』では大筋は同じですが所々脚色されていて、甲賀三郎が「お供なんかいらん!」と単身で大鹿退治に向かったり、案内役の童子が何故か三つ目だったりと、より物語風になっていてこれはこれで面白いです。
他の地域の似た伝承を探してみたところ、兵庫県姫路市の安志山にも大鹿の妖怪がいたと言われています。
それは“伊佐々王”と呼ばれる、七又の角、体にコケを生やし日光のように輝く目を持つ体長約6mもの大鹿だったとのこと。
伊佐々王も八頭大鹿と同じく、人畜に害をなしたため退治されてしまったそうです。(『峯相記』)
「かやぶきの里」で知られる観光名所内にあるので比較的訪れやすい。
素敵な所なので機会があれば是非どうぞ。

