山崎兵左衛門 (やまざきひょうざえもん)


丹波亀山藩の剣術師範、山崎兵左衛門は不思議な術の使い手で「虻に変化して日帰りで江戸に行った」「虻になった時、左官に壁の中へ塗り込められて苦しんだ」などの逸話があった。

享保八年(1723)、大和国郡山の藩主が殺した白狐に祟られて発狂し、家名は断絶した。
翌年、亀山藩が郡山城の在番(無主の城を管理する仕事)に命じられ、城を受け取ることになった。
だが郡山藩は亀山藩を小藩と侮り、なかなか城を明け渡さなかった。
この時、兵左衛門は一人で城に乗り込むと、術を使って城兵を眠らせ、その間に城内のあちこちに「潔く城を明け渡せ」と書いた紙を貼って回った。
目を覚ました城兵たちは「亀山藩にはバテレン(西洋の魔術?)を使う家臣がいる」と恐れ戦き、直ちに城を明け渡したという。
亀山藩の藩主は兵左衛門の豪胆を讃え、感状を送ったという。

『丹波の伝承』「虻になった兵左衛門」より


『藩史大事典 第五巻 近畿編』を調べてみると、丹波亀山藩の剣術指南役の項に「中条流・山崎兵左衛門」の名前が見られます。
このことから兵左衛門は実在の人物だったと考えられますね。バテレンが使えたのかどうかはわかりませんが。
ただ『ふるさと大和郡山歴史事典』には「郡山藩の本多家が断絶した後、郡山城の在番になったのは丹波篠山藩の松平氏」とあり、丹波亀山藩は郡山城受け取りに関わっていません。
そうなると丹波亀山藩の剣術指南役の兵左衛門も城受け取りには関わっていないということに……。
バテレン剣士兵左衛門の活躍劇はいったいどこの城で披露されたものなのでしょう。

伝承地:亀岡市