灰屋の怨霊 (はんやのおんりょう)
天正七年(1579)、明智光秀は高見城に攻撃を仕掛けていた。
その攻防中、流れ矢が光秀の体を掠めた。その矢尻には「土屋」の印が入っていた。
激怒した光秀は反逆者として矢匠・土屋(灰屋)三坂の一族を捕らえたが、その中に三坂の妹・岡女の姿はなかった。
岡女は既に西願寺(岡寺)へ逃げ延びており、三坂は光秀に居所を迫られても決して答えなかった。
そして岡女を除く土屋の一族は、市庭の沼の畔で火炙りの刑に処された。
一族の処刑後、岡女は仏門に入り供養を続けていたが、間もなく体調を崩し、光秀に深い恨みを抱いたまま死んでいった。
それ以来、夜になると市庭の沼の畔に美しい女の幽霊が現れ、泣き声や呻き声を上げるようになった。
そして最後には土屋一族が住んでいた母屋の裏庭に消えるという。
人々は「あれは灰屋の怨霊だ」と哀れみ、沼に小さな祠を建てて岡女の霊を慰めた。
その後、女の幽霊の噂はなくなったという。
『歴史物語 丹波柏原 続篇』「灰屋の怨霊」より

