身代わり地蔵 / 白い鯰 (みがわりじぞう / しろいなまず)


明智光秀が丹波亀山城を普請していた頃、保津には病気の母と暮らす美保という娘がいた。
ある日、丹波國一之宮出雲大神宮の祭神・三穂津姫命(みほつひめのみこと)が美保の前に現れ、「国分寺に石仏を献上すれば母の病は治る」と告げた。
美保は一年かけて金を貯め、石仏を献上したところ、お告げ通り母の病気は完治した。
母娘は石仏に感謝し、「身代わり地蔵」として大切に祀ることにした。
だがその後、地蔵は亀山城の石垣の素材として供出されることになった。
そこで美保は夜中に国分寺へ忍び込み、地蔵を持って逃げようとしたが、見張りに気づかれたので諦めた。
美保が家へ逃げ戻ると、母は冷たくなって死んでいた。
その後、美保は母の首と共に城が見渡せる保津の山中に移住し、地蔵を取り返す機会を窺っていた。
やがて城は完成し、上棟式で兵士たちに酒が振る舞われた。
美保はその隙を狙って城内に忍び込むと、石垣の中から地蔵を捜し出し背負って逃げようとした。
だがまたも見張りに見つかってしまい、逃げ場を失った美保は城の堀に飛び込んだ。
そのまま、美保と地蔵は浮かんで来ることはなかった。
以来、城の堀では月夜になると白い鯰が現れ、地蔵を探すかのように泳ぎ回るようになったという。

『保津百景道しるべ』「身代わり地蔵 保津観音の伝説」より


美保の地蔵に対する執念がすごい。
この他、丹波亀山城には、堀に入水して白鯰になった棟梁の話も伝えられています。



伝承地:亀岡市荒塚町・丹波亀山城(城址)