放れ駒 (はなれごま)
享保の大火(1724)で焼失したが、かつて円隆寺の本堂の壁には馬の絵がかけてあった。
ところが、この馬は夜になると絵から抜け出し、近隣の田畑を荒らし回っていた。
村人たちは交代で見張りを立てるも、仮眠を取っている間に作物を食い荒らされるという有様だった。
この馬の姿を見た者はいないが、蹄の音や走り去る馬の影を見た者はいたという。
ある時、一人の村人が円隆寺の壁画の馬に水玉や泥がついていることに気づき、作者である金岡という絵師に事情を話した。
その後、金岡が壁画に網を描き足して馬を繋ぐと、絵から抜け出て田畑を荒らすことはなくなったという。
『舞鶴市史 各説編』「放れ駒の絵(引土)」
『舞鶴の民話 第二集』「放れ駒(引土)」より
絵馬の作者の金岡とは平安時代の絵師「巨勢金岡」のことで、舞鶴市の旧・赤野村には彼の屋敷跡があると伝えられています。(『丹後旧語集』)
また京都市右京区の仁和寺にも、巨勢金岡作の絵馬から馬が抜け出して田を荒らす話がありますが、こちらは「絵馬の仕業だと気づいた人々が馬の目の部分をほじくり出して止めた」という結末になっています。(『古今著聞集』)
残念ながら絵馬は現存していません。
伝承地:舞鶴市引土・円隆寺
