白馬の半左衛門 (はくばのはんざえもん)


享保年間(1716~1736)、福住に白井半左衛門という庄屋がいた。
半左衛門は頭が良く剛直な性格で、自分が良いと思ったことは人に相談せず即座に実行する男だった。
その頃は米の不作が続いており、何度も強訴が起こっていた。そこで半左衛門は村人のために川の延長工事を始めた。
ところが上役に相談せず勝手に工事をしたという罪で、半左衛門は奉行所から死刑を言い渡された。
「村人たちに喜んでもらうためだったが仕方ない。だが今に見ておけ、災害が起こった時に思い知ることになる」
そう言い残し、半左衛門は処刑された。
半左衛門の言葉通り、寛延元年(1748)七月、福住で大火事が起こり五十軒以上の家が焼失した。
その火事の最中、多くの人が「白馬にまたがった半左衛門を見た」と言って大騒ぎになったという。
村人たちは相談の末、半左衛門の供養塔を建ててその霊を慰めることにした。
だがその後も大火事が起こったため、村人たちは禅昌寺境内にある半左衛門の供養塔を掃除したり花を供えたりして火の用心に努めたという。

『郷土の民話(丹有編)』「白馬の半左衛門(多紀町)」
『現地案内板』より


半左衛門の供養塔
禅昌寺境内の白井半左衛門供養塔(宝筐印塔)。


伝承地:丹波篠山市福住