武部源蔵の墓 (たけべげんぞうのはか)
生身天満宮の境内に創始者・武部源蔵の墓石がある。
だが昔はこの墓石が誰の墓なのかわからなかった。
ある時、武士が墓石を竹藪の中に移動させたところ、原因不明の病に侵され死んでしまった。
武士だけでなく、この墓石に手をかけた者は皆同じように病を罹ったという。
その後、墓石は武部源蔵のものだと判明し、園部公園内に移して盛大な慰霊祭を行った。
だが翌日に武部家の者が病気になったため、これは墓石を移転した祟りだということで、急いで元の竹藪に戻した。
すると同時に家人の病気も快復したという。
それ以来、この墓石に触れれば即座に病気になると言われ、誰も触らなくなった。
『丹波の伝承』「武部源蔵の墓」より
武部源蔵は菅原道真に仕えた人物で園部の代官を勤めていました。
菅原道真が讃岐国(香川県)へ左遷される際、八男を匿って育てたと言われています。

生身天満宮境内にある武部源蔵の墓(左の五輪塔)。
お堂も建てられています。
伝承地:南丹市園部町美園町・生身天満宮