岩窪三太夫 / 穴うろ三太夫 (いわくぼさんだゆう/ あなうろさんだゆう)
吉坂の稲荷神社は「岩窪(岩室)稲荷大明神」と呼ばれ、社の裏にある岩の窪みに白狐(『丹後旧語集』では白狐の老夫婦)が棲んでいた。
これを見たある農夫が供物を供えたところ、白狐は毎月一日に白髪の老人に化けて彼の家を訪れ、農事に関する吉凶を報せるようになった。
その後、この噂を聞いた村人たちは正月になると必ず岩窪稲荷に参詣し、豊作を願うようになったという。
この白狐は“岩窪三太夫”と呼ばれ、田辺藩藩主・牧野氏が参勤交代で江戸に向かう時はお供をしたという。
また江戸で行われた藩対抗の相撲大会では、「志楽五兵衛(『舞鶴の民話』では「田辺の三太夫」)」という力士に化けて出場したこともあった。
江戸時代の郷土誌『拾椎雑話』にも岩窪三太夫と思われる狐の話がありましたので、続けて紹介します。
元文(1736~1741)の頃、吉坂の山の洞に狐が棲んでいた。
この狐は関東で“穴うろ三太夫”という四股名の力士に化けて相撲を取っており、知らない者はいない程の有名人だった。
ある時、三太夫の友が吉坂を訪れ、地元民に家を尋ねたが誰も知らなかった。
すると三太夫の方から迎えに来たが、その姿は人間ではなく、八百歳になる狐だった。
三太夫は「相撲が好きなので関東へ行って相撲を取っていた。だがもう行くことはない」と言ったという。
そして何故か「この狐に願をかければ何でも叶う」という噂が流れ、各地から大勢の人が山の洞に参拝するようになったという。
『丹後旧語集(丹後史料叢書 第四輯)』 「岩窪稻荷大明神」
『舞鶴の民話 第一集』「岩室三太夫」
『拾椎雑話 巻二十四』「吉坂狐の事」より
このどれかが岩窪三太夫の棲み家だった?
伝承地:舞鶴市吉坂・岩窪稲荷神社

