脚気墓 (かっけばか)


江戸末期、泉州堺の武士が親の仇を捜し、妙高山の西にあるヅエガ谷の篭屋に滞在していた。
武士は名前を変え、猿回しの芸人に変装して仇を捜し回っていたが、その内に脚気を患ってしまった。
死期を悟った武士は篭屋の夫妻に「私が死んだらヅエガ谷に埋葬してほしい。だが脚気のせいで仇を討てないのが無念だ。これからは誰であろうと腰から下の病なら、私の墓に頼めば治してやろう」と言い残して死んだ。
その言葉通り、武士の墓に参れば、腰から下の病気が治るようになったという。
そして昭和四十九年(1972)六月、地元民が墓のそばに生えた大きなシキビに因んで「立木菩薩脚気墓」と刻んだ石碑を建立したという。

『多利郷土誌』「かっけ墓」より


伝承地:丹波市春日町多利(脚気墓の正確な位置は不明)