負けぎらい稲荷 (まけぎらいいなり)
文政三年(1820)、江戸で相撲の上覧試合が行われたが、篠山藩の力士たちは成績が悪く、藩主の青山忠裕は不機嫌だった。
その時、篠山から八人の力士(『丹波の伝承』では七人)が行司と頭取と共に現れ、試合への参加を願い出た。
あまり期待されないまま出場したが、八人の力士は桁違いに強く、全員が勝利を飾った。
試合後、忠裕は彼らを労う宴を催そうとしたところ、力士たちは既に国へ帰ったとの報告を受けた。
家臣が早馬で後を追うも見つからず、篠山まで戻って家老に尋ねたところ、力士など送っておらず、またそのような四股名の力士は藩に存在しないと言われた。
調べてみると、力士たちの四股名はどれも藩内の稲荷の名前と同じであることが判明した。
稲荷たちが力士に化け、相撲で負け続けている藩主の無念を晴らしてくれたのだろうと、それぞれの稲荷神社に幟を豊納して感謝したという。
以来、負けぎらい稲荷は勝利祈願の稲荷として信仰され、各地から多くの人が参詣している。
『篠山町百年史』「負けぎらい稲荷」
『親と子のふるさと 西紀の民話集』「黒田の稲荷角力さん」
『丹波の伝承』「力士に化けた須知稲荷」より
篠山の稲荷が化けた力士一覧(格付けは『多紀郷土史考 上巻』より)
○大関…王地山平左衛門(平左衛門稲荷)
○関脇…波賀野山源之丞(波賀野稲荷)
○小結…飛ノ山三四郎(三四郎稲荷)
○前頭…黒田山兵衛(黒田稲荷)曽地山右近(曽地山左近稲荷)小田中山清五郎(清五郎稲荷)頼尊又四郎(頼尊又四郎稲荷)周知山道観(京丹波町須知・導観須知稲荷)
○行司…金山源吾(追手神社境内の稲荷?)
○頭取…高城市松(春日神社境内の高城市松稲荷)
ちなみに『郷土の民話(丹有編)』にも負けぎらい稲荷の話が載っていますが、こちらは先の十人に加え、法福寺南にある谷山稲荷が化けた力士が登場します。
ただし谷山稲荷は江戸へ向かう途中で足を痛め、篠山へ引き返してしまうので試合には参加していません。
この他、亀岡市や舞鶴市にも力士に化けた稲荷が相撲を取る話が伝えられています。
亀岡市→通夜稲荷
舞鶴市→岩窪三太夫/穴うろ三太夫
舞鶴市→岩窪三太夫/穴うろ三太夫
伝承地:丹波篠山市河原町・王地山まけきらい稲荷神社 他

