蛇枕石 (へびまくらいし)
昔、上宮津小学校の北東の城山には上宮津城(喜多城)があった。
この山に一反(約992㎡)程の池があり、近くに“蛇枕石”という傾斜した大石が聳えていた。
石には大穴が幾つも空いており、この穴は池に棲む大蛇の遊び場、または寝床だったと伝えられている。
だが上宮津城が落城した時に池の水が抜かれたため、大蛇はそこに棲むことが出来なくなり、城山から少し離れた谷へ退去した。
そのことから、大蛇の逃げた谷を「カクレ谷」と呼ぶようになった。
そのことから、大蛇の逃げた谷を「カクレ谷」と呼ぶようになった。
『宮津の民話 第一集』「喜多城址」より
上宮津城の城主・小倉播磨守には「数馬」という下女(または愛人)がいたそうですが、同地には彼女にまつわる話も伝わっています。
伝承地:宮津市喜多・上宮津城趾付近(蛇枕石の位置は不明)