甚右衛門一家の祟り (じんえもんいっかのたたり)*
正徳(1711~1716年)の頃、友重に三代目甚右衛門という男が住んでいた。
甚右衛門は妻と二人の娘がありながら、放火や恐喝、詐欺などの悪事を働いていた。
村人たちは何度も甚右衛門を咎めたが一向に改心しないので、遂に妻娘もろとも殺害することにした。
そして甚右衛門一家四人は縛り上げられ、鯨谷の山麓に掘られた穴に突き落とされた。
穴の上から棘のある木が被せられると、娘の一人が「赤いかんざしが折れるわ」と泣き叫んだ。
甚右衛門は「よくもこんな目に遭わせやがって。見ていろ、村中を火の海にしてやるからな」と怒鳴ったが、村人たちは構わず四人を生き埋めにした。
それから数年後、村内のあちこちの家で祟りが起こるようになった。
村人たちは甚右衛門一家の祟りだと考え、善光寺如来を祀った。
そして安永元年(1772)に石碑を建て、一家を神として祀ることを誓うと、祟りはようやく治まったという。
友重の聴部神社の境内には小さな祠があり、それが甚右衛門一家を祀った四社荒神(四人塚)だと伝えられている。
『熊野郡伝説史』「四人塚のお話(海部村)」
『季刊 民話』第1号 1975年〈冬〉「奥丹後物語 草稿」より
『熊野郡伝説史』(1934年刊)ではシンプルに「甚右衛門一家生き埋めの数年後に祟りが起こった」とだけ書かれていますが、『季刊 民話』(1975年刊)では「一家を生き埋めにして間もなく、村に赤い火玉が飛ぶようになり、疫病が蔓延した」と、火の玉と疫病の話が追加されています。
赤いかんざしを挿していた娘が死後に赤い火玉(人魂)になったのでしょうか。
あと何故か『季刊 民話』では甚右衛門の名前が善右衛門に変わっています。誤記?

京丹後市久美浜町友重の聴部(きくべ)神社。
祭神は不明ですが『京都府熊野郡誌』によると、菊理媛命を祀る神社と考えられています(扁額には「聴部大神」とある)。

本殿の左側にある三つの末社。社名ナシ。
『京都府熊野郡誌』には、稲荷神社・天満宮・城末神社(戦国武将を祀る)とあります。
この三社以外に社らしきものは見当たりませんでした。
ということは四社荒神は現存していない?
それともこの三社のいずれかが四社荒神なのでしょうか。
伝承地:京丹後市久美浜町友重
正徳(1711~1716年)の頃、友重に三代目甚右衛門という男が住んでいた。
甚右衛門は妻と二人の娘がありながら、放火や恐喝、詐欺などの悪事を働いていた。
村人たちは何度も甚右衛門を咎めたが一向に改心しないので、遂に妻娘もろとも殺害することにした。
そして甚右衛門一家四人は縛り上げられ、鯨谷の山麓に掘られた穴に突き落とされた。
穴の上から棘のある木が被せられると、娘の一人が「赤いかんざしが折れるわ」と泣き叫んだ。
甚右衛門は「よくもこんな目に遭わせやがって。見ていろ、村中を火の海にしてやるからな」と怒鳴ったが、村人たちは構わず四人を生き埋めにした。
それから数年後、村内のあちこちの家で祟りが起こるようになった。
村人たちは甚右衛門一家の祟りだと考え、善光寺如来を祀った。
そして安永元年(1772)に石碑を建て、一家を神として祀ることを誓うと、祟りはようやく治まったという。
友重の聴部神社の境内には小さな祠があり、それが甚右衛門一家を祀った四社荒神(四人塚)だと伝えられている。
『熊野郡伝説史』「四人塚のお話(海部村)」
『季刊 民話』第1号 1975年〈冬〉「奥丹後物語 草稿」より
『熊野郡伝説史』(1934年刊)ではシンプルに「甚右衛門一家生き埋めの数年後に祟りが起こった」とだけ書かれていますが、『季刊 民話』(1975年刊)では「一家を生き埋めにして間もなく、村に赤い火玉が飛ぶようになり、疫病が蔓延した」と、火の玉と疫病の話が追加されています。
赤いかんざしを挿していた娘が死後に赤い火玉(人魂)になったのでしょうか。
あと何故か『季刊 民話』では甚右衛門の名前が善右衛門に変わっています。誤記?

京丹後市久美浜町友重の聴部(きくべ)神社。
祭神は不明ですが『京都府熊野郡誌』によると、菊理媛命を祀る神社と考えられています(扁額には「聴部大神」とある)。

本殿の左側にある三つの末社。社名ナシ。
『京都府熊野郡誌』には、稲荷神社・天満宮・城末神社(戦国武将を祀る)とあります。
この三社以外に社らしきものは見当たりませんでした。
ということは四社荒神は現存していない?
それともこの三社のいずれかが四社荒神なのでしょうか。
伝承地:京丹後市久美浜町友重