泣きべすエベス (なきべすえべす)
①昔、三浜の浜辺にエベス(恵比寿)の木像が流れ着き、村で祀ることにした。
その後、エベス像は村を訪れたある人に譲られ、西ノ宮(兵庫県西宮市)に祀られることになった。
だが、ある時を境にエベス像は笑うのを止め、「丹後へ帰りたい。丹後の三浜へ帰りたい」と言ってメソメソと泣くようになった。
いつも笑顔のエベスが泣くということで有名になり、木像は「丹後の泣きべすエベス(恵比寿)」と呼ばれるようになったという。
今でも三浜では子供が泣くと「泣きべす、こべす、たんごのエベス」と囃し立てる言葉が残っている。(『わが郷土』)
②昔、三浜の浜辺に金色のエビス像が流れ着き、村の神社で祀ることにした。
ある時、村を訪れた六部(修行僧)はエビス像を見て、「これは良いものだ。こんな所には似つかわしくない」と考え、背中の木箱に入れて逃げ出した。
そして村から遠く離れた峠の頂上まで来た時、ふと「丹後へ、三浜へ帰りたい」という小さな声が聞こえた。だが振り返っても誰もいない。
再び峠道を進むと、また「丹後へ帰りたい、三浜へ帰りたい」という声が聞こえた。
六部は「私は善人だぞ!」と大声を上げながら夜道を急いだが、「丹後へ帰りたい」という声はどんどん大きくなっていった。
耳を澄ましてみると、声は背中の木箱から聞こえてくるので開けてみたところ、エビス像が「ウエン、ウエン」と泣いていた。
だが今更返すわけにもいかず、六部はエビス像の泣き声を聞きながら歩き続けた。
やがて六部は西宮に辿り着いたが、「泣きエビスでは誰も買ってくれないだろう」と諦め、像を近くの神社に納めた。
そして「泣きエビス、丹後のエビス」と悔しそうに歌ったという。
六部が像を納めた神社は、現在の西宮恵比寿神社(兵庫県西宮市)だと伝えられている。(『舞鶴の民話』)
『わが郷土 丸山小学校創立百周年記念誌』「泣きべすエベス -三浜-」
『舞鶴の民話 第五集』「泣きエビス・丹後のエビス」より
*2023/4/21 追記
『丹哥府志』によると、福井県若狭町末野に「泣蛭子」という社(須部神社)があり、祭日には子供たちが「泣ベスホイベス丹後の蛭子 銭が一文タライデ泣モドッタ」という歌を歌った、とあります。
『丹哥府志』によると、福井県若狭町末野に「泣蛭子」という社(須部神社)があり、祭日には子供たちが「泣ベスホイベス丹後の蛭子 銭が一文タライデ泣モドッタ」という歌を歌った、とあります。
若狭地方にも“泣きベスエベス”のような伝承があるのかもしれませんね。発見出来たら追記します。
男岩(福知山市)
太光薬師(福知山市)
帰ってきた毘沙門天(舞鶴市)
泣き薬師(京丹後市)
伝承地:舞鶴市三浜(兵庫県西宮市)