弁財天の祟り (べんざいてんのたたり)


明治初め頃のこと、富本村西田のある家の娘が、鏡台を縁側に持ち出して髪を結っていた。
すると鏡に大蛇が映り込み、娘は驚いて悲鳴を上げた。
悲鳴を聞いて駆けつけた家人が調べると、庭の桜の木に大蛇が登っていた。
家人は鉄砲で大蛇を撃ち殺し、その死体を大堰川に捨てた。
ところが大蛇は半死だったので、川から拾い上げて大日寺の境内に埋め、そこに弁財天の祠を建てて祀った。
だが時代が下ると共に参拝者は減っていき、昭和の初め頃には祭祀も疎かになっていた。
ちょうどその頃、大日寺の奥方は持病で胃を患っていたが、それが胃がんに発展し、医者からも見放される程に悪化した。
これは弁財天の祟りに違いないと考え、再び祠を丁寧に祀り直すと、奥方の病気は快方に向かったという。

『丹波の伝承』「大日寺の辨天祠」より


『口丹波口碑集』にも同じような話がありますが、こちらは「金持ちの家の木にいた白い蛇を鉄砲で撃ち殺し、死体を大堰川に捨てたら家が没落した(拾い直して祀っていない)」という感じで終わっていて、大日寺関係のエピソードは出て来ません。


伝承地:南丹市八木町西田・大日寺