重正と千代の亡霊 (しげまさとちよのぼうれい)*
明暦(1655~1658)の頃、土佐の浪人・日吉重正は流浪の末に丹波の多利村に滞在し、千代という娘と夫婦の約束を交わした。
だが高見吉興という男が千代に横恋慕し、嫉みから重正を暗殺した。
更に吉興は千代を手籠めにしようとしたが、彼女は重正を追って自殺した。
それから間もなく、夜な夜な吉興の枕元に、憤怒に満ちた重正と千代の亡霊が現れるようになった。
やがて吉興は半狂乱に陥り、狂い回って手の施しようもなくなった。
そこで兄の高見吉春は僧に請うて「妙法蓮華経」と刻んだ経塔を二人の墓前に建て、追善供養を行った。
すると次第に重正と千代の亡霊は姿を消し、吉興の狂乱も快癒した。
その後、吉春は経塔のそばに松を植え、いつしかそれは「日暮らしの松」または「下がり松」と呼ばれるようになった。
だがやがて松は枯れ、二代目の松も昭和三十五年(1960)頃に枯死してしまったという。
『多利郷土誌』「日暮らしの松」より
伝承地:丹波市春日町多利