景清稲荷 (かげきよいなり)


昔、丹後国で相撲大会が催された。
その時「かげきよ」と名乗る力士が飛び入りで参加したところ、強すぎて誰も敵わなかった。
かげきよは菟原村の出身だと言うので、人々は村に立ち寄って力士の素性を尋ねた。
だが村に力士はおらず、人々は「かげきよは「ゴウドの森」の主に違いない」と考え、菟原にある稲荷神社を「景清稲荷」と呼ぶようになった。

また、景清稲荷の境内には「小姓稲荷」という社がある。
天保元年(1830)九月、京都御苑にあった花山院の眷属の稲荷(花山稲荷)が菟原村の娘に取り憑いた。
そのため花山院御殿に願い、ゴウドの森へ勧請したと伝えられている。

『三和町史 上巻』「影清稲荷」より


大原神社の『社務代々記録帳』によると、天保五年~弘化三年(1834~1846)にかけて、流行病の祈祷と共に狐憑きの祈祷が行われていたそうです。
またそれ以前の文化九年(1812)秋には何鹿郡三宅村(綾部藩領)で火災が続いたため、八卦の神託を受けた藩主が「火事は狐狸の仕業だ」として藩士に狐狸の巣を壊すよう命じた記録が残っています。
しかし特に効果はなかったようで、藩士から「「怪異取り鎮め係」でも設置されるんですか?」と皮肉を込めた具申をされたんだとか。

ちなみに狐が力士に化けて相撲をとる話は亀岡市・舞鶴市・丹波篠山市など広範囲に伝えられています。


景清稲荷
三和町菟原の景清稲荷神社(右が本殿)。


伝承地:福知山市三和町菟原中・景清(影清)稲荷神社