犬の堂 (いぬのどう)
昔、波路村の戒岩寺は文殊堂(知恩寺)を掛け持ちで運営していた。
この時、戒岩寺の僧は用事がある度に飼い犬を寺から文殊堂へ使わしていた。
この犬は賢く、あらかじめ帰宅の刻限を決めておけば必ずその時間までに戻って来るため、僧からとても愛されていた。
同じ頃、寺に愚鈍な小僧がいて、いつも犬と比較されて叱られていた。
怒った小僧はある時、犬を陥れようと約束の時間より早く寺の鐘を鳴らした。
ちょうど使いに出ていた犬は鐘の音を聞いて遅刻したと勘違いし、浜の岩の角に頭を打ちつけて自殺した。
その後、僧は犬の死を哀れみ、小堂を建てて菩提を弔ったという。
『与謝郡誌 下巻』「犬の堂」より
江戸後期の地誌『丹哥府志』には、実際の犬の堂の碑文が掲載されています。
話の大筋は同じですが、犬は遅刻して自殺したのではなく、単に老衰で死亡したとなっています。
また宮津藩の地誌『宮津府志』では、犬をたばかる小僧は出て来ず、犬が刻限までに寺へ戻れなかった理由も「道中でトラブルが発生して間に合わなかった」となっています。ただ最後には犬は自殺してしまいます。
その他、昭和初期に発刊された『旅と伝説』にも犬の堂の記述がありますが、上記のものとは違った内容になっています。
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昔、山の上に鐘撞き堂があり、堂守の老人は毎日時刻を報せる鐘を撞いていた。
老人は時々居眠りをして撞くのを忘れることがあったが、いつも時間になると飼い犬が起こしてくれていた。
だがある夜、老人も犬も寝過ごしてしまい、鐘を撞くことが出来なかった。
犬はその責任を取り、舌を噛み切って死亡した。
その後、人々はお堂を建てて犬を祀ったという。(『旅と伝説』1号「天の橋立にて」)
碑文は江戸時代の儒学者・林羅山の息子、林鵞峰の作と言われていますが、現在は風化で削れ読めなくなっています。
伝承地:宮津市杉末
