上り山 (あがりやま)


弘化四年(1847)正月十一日の深夜、竹野郡木津の上村(上野村?)で激しい地鳴りが起こり、大雨が降り注いだ。
夜明け頃にようやく地鳴りは静まり、雨も止んで青空が広がった。
だが村人たちが外に出ると、高さ五、六丈(約15~18m)程の山が忽然と聳えていた。
村人たちは前代未聞の出来事に驚き、たちまちこの山の噂は遠近に広まった。
村の古老曰く、宝永四年(1707)にも富士山が分かれて宝永山という山が出来たことがあったが、それから世は豊かに栄えたという。
その時は「宝永」の年号に因み「豊栄」の前兆だったとされ、弘化に起こった上村の地変は「世界が豊かな時代に弘く化す(弘化)印だ」として人々は喜び祝ったという。

『「丹後の国に於て一夜の内に山湧出る次第」図』(瓦板)
『ふるさとのむかしむかし』「上(あが)り山地変」より


その後、宮津藩はこの地変を調査しましたが、結局原因はわからず「木津は温泉が出るんだから硫黄が噴き出して土地を持ち上げたんだろ」という評決を下したそうです。

また宮津市にも一夜にして山が生まれた話があります。


上り山
現在の上り山付近。
上り山は昭和二年(1927)の北丹後地震で3m(5~6mとも)程陥落し、その後頂上を削って学校や老人ホームが建てられたため、山の面影はほとんど残っていません。


山湧き出るの図
弘化四年の上り山地変を伝える瓦板。(舞鶴市所蔵)
突如現れた山を見て驚く人々の姿が描かれています。
ちなみにこの瓦板は舞鶴市の『糸井文庫 書籍閲覧システム』で見ることが出来ます。


伝承地:京丹後市網野町木津