頭の固い侍 (あたまのかたいさむらい)*
丹後宮津藩に頭の固い侍がいた。
この侍はいつも八寸釘を頭で柱に打ち込んでいた。
天草の陣(島原の乱?)では頭に銃弾を受けたが、弾は通らなかったという。
この侍が越前(福井県)に使者として遣わされた時、藩主の松平忠直は「お前の頭は今でも固いのか、一太刀当てさせてくれ」と言った。
だが侍は「年を取ったので、もう刀を受けられる自信がありません」と言って断った。
その後、宮津に戻った侍は、主君の京極高広に、
「刀では私の頭は斬れませんが、一伯様(松平忠直)は頭が斬れないとなると、次は必ず腹を突いてくるだろうと思い、お断りした」と報告したという。
『拾椎雑話 巻十七』「人物」より
刃も銃弾も効かない石頭を持つ超人侍の話です。
頭全体がまんべんなく固かったのか、それとも額などの一部だけが固かったのか。
ちなみに松平忠直は乱行の多い暴君だった(という伝説がある)ので、そのことから侍は「頭がダメとわかるとためらいなく腹を刺してきそうなヤバイ人」だと判断し、適当な理由をつけて断ったのでしょう。
侍も日常的に釘を頭で柱に打ち込むようなヤバイ人ですけど……。
余談になりますが、松平忠直の在位(1607-1623)と京極高広の在位(1622-1654)は一年ちょっとしか被っていないので(忠直は1623年2月に豊後へ配流)、本文のエピソードは元和八年(1622)か九年(1623)初めの頃の話と考えられます。
伝承地:宮津市