川端柳 (かわばたやなぎ)
本郷集落外れの佐治川沿いに、樹齢六百年以上の古柳があった。
その柳は太い幹を奇怪にくねらせて黒々と生い茂り、昔から「切るな切らすな本郷の柳」と言われていた。
江戸時代末期、佐治川の舟着き場で、藤三郎という武士が荷揚げされる御用米の数を記帳していた。
その時、誤って米俵が十俵多く運ばれたが、藤三郎は「この十俵があれば病気の妻に薬が、飢えた我が子に米が与えられる。これは天の恵みだ」と考え、何食わぬ顔で米俵を持ち帰った。
だが翌日には米俵の着服が露見し、藤三郎は打ち首を言い渡された。
そして処刑当日、藤三郎は妻と子供を殺して後顧の憂いを絶った後、舟着き場で首をはねられた。
その後、藤三郎の首は佐治川のそばに生えた六本の柳の一つにかけられ、見せしめにされた。
それから数年後、六本ある柳の内の一本を切った人が一家全滅の憂き目に遭い、更に別の人がもう一本切ったところ、この家も家族全員が死に絶えた。
そして明治初年の沿岸工事の際、半三郎という若者が柳を一本だけ残して切り倒すと、間もなく何らかの罪で逮捕され獄死した。
それ以来、人々は柳を恐れるようになり、「かわいことした本郷の半三郎、川端柳が生命とる」という俗謡まで唄われたという。
『由緒を尋ねて』「本郷の川端柳」より


