鍬山明神と八幡明神 (くわやまみょうじんとはちまんみょうじん)*
永万元年(1165)四月八日、矢田の天岡山の山頂に不思議な光が現れ四方を照らした。
荒塚の村人が確認に行くと、甲冑を帯び、弓箭を持った神が降臨していた。
神は「我は誉田神である」と告げ、弓矢を残して消え去ったので、八幡明神として鍬山神社のそばに合祀した。
数日後、この村人は常人と異なる容貌の気高い老女に出会った。
すると「我は八幡大明神である」という声と共に、空から二つの面が天岡山の影向石の上に降った。
以来、天岡山は面降山とも呼ばれるようになり、人々は弓矢と面を矢田神社の宝として祀った。
ところがそれから毎夜、雷雨や大風が吹き荒れ、その嵐の中から激しい剣戟の音や争う声が聞こえるようになった。
そして明け方に神社へ行くと、必ず兎と鳩の死体が残されていた。
それが何日も続くので、人々は「白兎は鍬山明神、白鳩は八幡明神の神使だ。両神は仲が悪いので夜な夜な争っているのだろう」と考え、両社を分けて祀ったところ、怪事は収まったという。
『丹波の伝承』「鍬山八幡両神の不和」より
不仲の神が争う伝説は各地に見られ、有名な話だと栃木県の日光男体山の神と群馬県の赤城山の神がそれぞれ蛇と百足になってバトルを繰り広げる、というものがあります。(『上州の伝説』など)
また京都市には、北野天満宮と伏見稲荷の両神が不仲という伝説があります。
昔、京の神々は毎日当番制で御所の警護をしていましたが、ある日、菅原道真の霊が雷神となって御所の近くで暴れ回りました。
そこでその日の当番だった稲荷大明神が雲に乗って現れ、雷神と戦ってこれを防ぎました。
そのため、北野天満宮に祀られた後も天神(菅原道真)と稲荷神は仲が悪く、両社を同じ日に参拝してはいけないとまで言われるようになりました。(『渓嵐拾葉集 巻四』)
本殿が二つ並ぶ珍しい神社で、手前が八幡宮(誉田別尊)、奥が鍬山宮(大己貴命)です。
鍬山宮の祭神・大己貴命は太古の昔、泥の湖だった丹波国を切り拓いた三神の一柱で、湖水を干拓して肥沃な農地にしました。
人々は大己貴命を尊崇し、開拓の時に使用した鍬や鋤が山積みになったことから「鍬山神社」と名付け、鍬山明神として祀ったと伝えられています。
そして八幡宮の祭神・誉田別尊は鍬山宮建立の約450年後に天降り、八幡明神として同神社に祀られました。(『鍬山神社案内板』)
鍬山神と八幡神の不仲には別伝があり、降臨した八幡神を鍬山宮に合祀しようとしたところ「鍬山神と同居は嫌だ」と断られたため、そばに八幡宮を新しく築き、両社殿が隣同士にならないよう、間にこの池を作ったと伝えられています。(『京都の伝説 丹波を歩く』によると、この池は両神の「仲直りの池」だとも)
伝承地:亀岡市上矢田町・鍬山神社

