幽霊の片袖 (ゆうれいのかたそで)


佐治村の医師の息子・多聞は、京都の紅屋という薬問屋で医学を学んでいた。
やがて紅屋の一人娘の定子と恋仲になり、三年後、医学を修めた多聞は定子に「必ず迎えに来る」と約束して佐治村へ帰った。
ところがその年の九月の夕暮れ、不意に定子が多聞の家を訪ねてきた。
だが定子は夏なのに冬用の装束をまとい、その態度はとても憂鬱そうだった。
不審に思い紅屋へ飛脚を送ると、定子は多聞を思ったまま二ヶ月前に病死していたことがわかった。
事情を聞いた定子の父・定張は、佐治村まで来て死んだ娘と対面したが、定子は表情も変えず無言のままだった。
そこで定張は高源寺の高僧に事情を説明し、娘の成仏を願った。
そしてその日の深夜、高僧は定子を寺の一室に招き入れ、大声で読経した。
すると定子は静かに微笑み姿を消そうとしたので、高僧が彼女の袖を掴むと、片袖だけを残して消え去った。
その後、定張は仏門に入り、高源寺の境内に仏光寺を建立したという。
高源寺には定子の片袖と、紅屋から寄進された紫縮緬の幔幕が宝蔵してあり、また境内には父と娘の戒名入りの石碑が祀られている。

『青垣町誌』「高原寺の幽霊の片袖」より


ちなみに京都の紅屋(現在の三条堺町付近にあった)から丹波の佐治まで直線距離でおよそ80kmくらい離れています。
幽霊になっても結構遠くまで移動出来るんですね。それとも愛のなせる業か。


定子&定張の碑
高源寺境内にある定子(右)と定張(左)の石碑。
定張の碑に比べて定子の碑はずいぶんと丸っこい形をしています。
碑文によると、定張の碑は元文二年(1737)に建てられたものだそうです。定子は碑文がなかったので不明。


幽霊水鏡の橋
高源寺には他にも、定子の幽霊がもたれかかったという「幽霊もたれの松」や、定子の幽霊が橋の上から自分の姿を水面に映して眺めたという「幽霊水鏡の橋」(画像中央の平たい石橋)など、定子の幽霊にまつわる伝承スポットがあります。


幽霊もたれの松跡地
残念ながら「幽霊もたれの松」は現存していないらしく、松が生えていたと思われる場所には小さな仏像が祀られていました。


伝承地:丹波市青垣町佐治(高源寺)