白狐長吉 (びゃっこちょうきち)


昔、吉富村の久昌寺に、九州豊後出身の商山という和尚がいた。
ある日、九州から長吉という男が訪れ、和尚と面談した後、寺で人々に読み書きを教えるようになった。
だが商山は長吉の様子に疑いを抱き「畜生の正体を現せ」と言うと、彼はたちまち白狐に変化し、「私は九州豊後の白狐で、商山和尚の徳を慕って訪ねて来た」と説明した。
商山は可哀想に思い「字を書けるか」と尋ねると、白狐は筆を口にくわえ「千載一遇丹頂之鶴」と書き記した。
そして人々に別れを告げ、裏山からどこかへ去って行った。
この時白狐が書いた掛け軸は、今も久昌寺に保存されているという。(『丹波の伝承』)

この他、八木町の郷土誌『郷土よしとみ』にも同じ白狐と思われる話が掲載されています。

文化年間(1804~1818)、吉富村の龍興寺塔頭雲所軒の商山という僧が、白狐をお供に連れて久昌寺に来た。
やがてお供の白狐は年老いて山へ帰ることになり、長年世話になった礼に「千歳丹頂鶴 八百十三歳白狐朝吉書」と一書を書き残して去って行った。
その書は巻物にして久昌寺に保管されているという。(『郷土よしとみ』)

『丹波の伝承』「白狐の長吉」
『郷土よしとみ』「白狐朝吉」より


ちなみに白狐の名前は『丹波の伝承』では「吉」、『郷土よしとみ』では「吉」とそれぞれ違う漢字が充てられています。


伝承地:南丹市八木町八木嶋・久昌寺