お七地蔵 (おしちじぞう)


江戸の八百屋の娘・お七は吉祥寺の小姓・吉左と恋仲にあったが、親に反対されたことから自宅に火をつけ、放火の罪で火刑に処された。
その後、吉左はお七の霊を弔うために諸国を巡礼し、比治山峠にお七地蔵を建立したという。

ある時、比治山峠で旅人が行き倒れになった。
旅人が夢現の状態に陥った時、若い娘が現れ「元気を出しなさい。私はお七だ」と励ました。
この話を聞いた村人たちは、お七地蔵を懇ろに祀ったという。
また、お七地蔵は六十年に一度、願いを聞いてくれると伝えられている。
明治三十四年(1901)頃、三河内の人が腸満(ガスで腹部が張る病気)になった。
そこでお七地蔵に参り、自分の腹を撫でてから地蔵の腹を撫で一心に祈ると、腹の膨らみは小さくなり、やがて全快したという。
お七地蔵の評判は広まり、遠近から多くの参拝者が訪れたという。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「お七わらべ堂」より


童子堂
峰山町の比治山峠にある比治山童子堂(わらべ堂)。
ここに延命地蔵、通称「お七地蔵」が祀られています。

またこの童子堂には、代官が謎の美女にお茶をもらう話があります。→わらべ堂の女
その正体はお堂の地蔵だとあるので、ひょっとすると代官の前に現れた美女はお七だったのかもしれませんね。


伝承地:京丹後市峰山町鱒留