思いの火 (おもいのひ)


万福寺の愛阿上人は月に三度、文殊の智恩寺(文殊堂)に参詣していた。
参詣した日は夜を徹して念仏を唱えており、その時に「竜灯」をよく見たという。
竜灯は晴れた凪の夜、天橋立の南海岸にある「竜宮の門」という淵から現れ、文殊堂の前に移動する。
そして文殊堂の南にある松に上がり、半時程留まってから消えることもあれば、すぐに消えることもあるという。
竜灯は無道心の者には稀にしか見られず、あるいは漁火だと言う人もいる。
また、この松の上に童子が灯りを捧げていることがあり、これを「天灯」と呼ぶ。
かつて天灯は度々灯っていたが、今はほぼ見られないという。

その頃、智恩寺は夏になると蚊が大量発生し、寺に泊まる巡礼者を苦しめていた。
不憫に思った愛阿上人が大きな蚊帳を寄進すると、巡礼者たちは喜び、それからは何十人もの男女が一所に集まって眠った。
ある夜、上人は蚊帳の中に火が灯っていることに気づいた。
よく見ると、眠る巡礼僧の胸の上に青い火が灯り、その火は同じ蚊帳で眠る比丘尼の上まで移動して消えた。
翌朝、巡礼僧に火のことを伝えると、彼は「その比丘尼とは知り合いではないが、巡礼の道は同じです。あちこちで彼女の姿を見かける度、私の心は少し動きました。そうして彼女への思いが募っていき、胸の火となって現れたのでしょう。今後はこの思いを断ち切るよう心がけます。しかしながら、これは文殊菩薩の御利生だと思います」と言って礼を述べた。
その後、上人は蚊帳をもう一張り寄進し、寝所を男女別々にしたという。


『奇異雑談集』「九世戸の蚊帳の中に思ひの火、僧の胸より出でし事并びに竜灯の事」(『江戸怪談集(上)』収録)より


巡礼中にも拘らず比丘尼への恋心が芽生えてしまい、その募る思いが青い火となって胸の上に現れ、彼女の元へ向かったということでしょうか。


知恩寺
天橋山知恩寺(文殊堂)。
智慧を司る仏・文殊菩薩を祀るお寺で、日本三文殊(京都・奈良・山形の三寺)の第一の霊場とされています。


伝承地:宮津市文殊・智恩寺