的場稲荷の怪物 (まとばいなりのかいぶつ)*
天文(1532~1555)の頃、黒井の東外れにある的場稲荷神社の森に、夜な夜な怪物が出ると噂されていた。
ある夏の夜、七歳の赤井直正(幼名・才丸)は、その怪物を倒すため一人で神社に向かった。
すると四ツ刻(夜十時)を過ぎた頃、凄まじい家鳴りと共に、目を爛々と輝かせた異様の怪物が闇の中から現れた。
直正は襲いかかる怪物を刀で斬りつけて退治し、翌朝になって確認すると、年を経た貂の死体があったという。
その後直正は勇猛な武将となり、丹波の名号としてその名を天下に轟かせた。
天正三年(1575)、直正は丹波に攻め込んできた明智光秀軍を黒井城で迎え撃った。
その時、和睦勧説に訪れた使者の堀尾茂助(脇坂安治とも)は、直正の武才に感じ入り、降伏し臣下に加わるよう説得した。
天正三年(1575)、直正は丹波に攻め込んできた明智光秀軍を黒井城で迎え撃った。
その時、和睦勧説に訪れた使者の堀尾茂助(脇坂安治とも)は、直正の武才に感じ入り、降伏し臣下に加わるよう説得した。
だが直正はその誘いを丁重に断り、的場稲荷で退治した貂の皮を贈ったという。
『由緒を尋ねて』「赤井直正の墓」より
赤井(荻野)直正は戦国時代の丹波国の武将で、武勇に優れていたことから「丹波の赤鬼」と呼ばれ恐れられていました。
ちなみに直正が斬った怪物の正体は、貂ではなく石仏だったという話も伝わっています。(『春日町誌』)
伝承地:丹波市春日町黒井(的場稲荷神社の位置は不明。黒井城にあった神社?)