鯉明神 (こいみょうじん)
神代の頃、嵯峨の松尾神社の祭神・月読命と木股命(大井神)は桂川に流されたが、下流へ流れることを嫌がり、亀に乗って川を遡った。
だが亀では保津川の急流を上りきれず、途中で鯉に乗り換えて遡上し、河原林村の勝林島に上陸した。
その時に関某が両神をその地に祀ったが、「もっと日当たりの良い高い土地へ行きたい」という夢のお告げがあり、後に大井村へ奉遷した。
それが現在の大井神社であり、俗に“鯉明神”と呼ばれている。
そして大井村では神々を運んだ鯉を大切に扱い、罰が当たるので捕食しないという。
また亀も鯉程ではないが大切にされているという。
『丹波志桑田記』「神社之部」
『丹波の伝承』「大井神社」より
当ブログでは江戸中期の地誌『丹波志桑田記』と昭和前期の伝説集『丹波の伝承』をベースに紹介しましたが、大井神社創建にまつわる伝承は多くの書籍に見られ、それぞれ微妙に内容が違っています。
例えば大正十四年(1925)刊の『口丹波口碑集』では、松尾神社の木股命は五人兄弟の末っ子で、横着者だったために他の兄弟神から嫌われて桂川に流された、となっています。(その後の展開は本文とほぼ同じ)
江戸後期の地誌『桑下漫録』にも鯉明神の伝説が載っていて、松尾神社の神(中津大神)が亀→鯉と乗り換えて大堰川を遡り、勝林島に上陸するところまでは同じですが、その時に神の姿を見た地元の工匠が「今から用事で京に行くが、私が帰って来るまで同じ場所に居るなら社殿を建てて祀ろう」と約束します。
そして神は工匠が戻るまで同じ場所に居続けたので、約束通り同地に小社を建て「松尾の宮」として祀りました。(その後現在の地に遷座)
ちなみに大井神社の氏子には、神の使いである鯉を食べれば口の中が腫れる(腹痛になるとも)ので食べない、鯉の絵図を粗末に扱わない、端午の節句に鯉のぼりを揚げない、などの禁忌が言い伝えられています。(『諸国里人談』『松尾大社 神秘と伝承』)
月読命・市杵島姫命・木俣命を祀る神社です。
やたら目力の強い亀が甲羅から水を噴き出し続けています。
『丹波の伝承』では、松尾神社の祭神の月読尊と道臣命(あるいは大井神)が鯉に乗って大井神社に来た時、その鯉をそばの池に放ったという話があります。この池のこと?
伝承地:亀岡市大井町並河・大井神社

