鮭に乗った神 (さけにのったかみ)
顕宗天皇元年(485)三月二十三日の夜、由良の湊の野々四郎という男が海で釣りをしていると、突然水面が光り輝き、昼よりも明るくなった。
見ると、白い着物を着て金色の鮭に乗り、左手に蚕、右手に五穀の種を持った異人が現れた。
異人は「私は上古の神である。今から大川の里まで行こうと思っているので、このことを村人たちに告げ、すぐに神籬を立てて祀りなさい」と言った。
更に翌年(486)の正月二十八日にも、大川村の八歳の子供が四郎と同じお告げを受けた。
そして同年三月二十三日に天皇から社殿造営の勅命が下り、九月二十三日に大川明神を勧請して祀ったという。
このため大川神社では、正月二十八日、三月二十三日、九月二十三日と年に三度祭を行っている。
『丹哥府志』「大川神社」
『京都の伝説 丹後を歩く』「鮭に乗った神」より

大川神社。
大川神社の祭神は保食神とされています。
(『日本書紀』にある食物神で、口から吐き出した食べ物で月夜見尊を接待したらブチギレられて殺され、その死体から蚕や穀物、牛馬が生まれた)
本文の鮭に乗った神が蚕と五穀の種を持っていたのは、保食神の伝承と関係がありそうですね。
創建時は西の徹光山の頂上に鎮座していましたが、麓の由良川を往来する船に祟りがあったため、後に山腹へ移されました。
ちなみに野々四郎は本文の神(女神とも)を背負って徹光山に登りましたが「戻る途中で振り返るな」という神との約束を破り、由良川の川端で振り返ったところ、たちまち死んでしまったそうです。
大川神社の使いは狼と言われていて、昔から大川地区には狼の害がなかったそうです。
同神社には「御駒」と呼ばれる30cm程の石の狛犬があり、疫病の流行や狐狸が祟りをなした時に「御駒」を借りると、その村へ狼が来て狐狸妖怪などから守ってくれると言い伝えられています。(『丹哥府志』)
また佐土原藩の修験者・野田成亮の巡礼日記『日本九峯修行日記』にも大川神社の御駒についての説明があります。
こちらでは「神前に祝詞を捧げて御守り(御駒のこと?)を借りれば狼の害を防ぐことが出来る」とあり、更に「願いが叶ったら約束した期日までに御守りを返す習わしだが、もし返さなければ悪犬というものが借りた人につきまとうらしいので早めに返した方がいい」と、御守りを返却しない人へのペナルティも記されています。
悪犬が何かはわかりませんが、名前からしてあまり良い存在ではないっぽいですね……。
大川神社正面の国道沿いにあり、同神社の御旅所とされています。
『丹後国加佐郡旧語集 下巻』によると、川端で振り返って死んだ野々四郎を祀る社だそうです。
亀→鯉と乗り換えて川を遡上した神
伝承地:舞鶴市大川・大川神社

