右衛門塚 (うえもんづか)


昔、高杉村の人々は「馬舟の湖」という湖の水を利用して米を作っていた。
だがある年から不作が続いたので、坊主に祈祷してもらうと、湖の主の大蛇が現れ「十四、五歳の娘を生贄に捧げよ。聞き入れない場合は辺り一帯を荒れ野にするが、聞き入れるなら毎年豊作にしてやろう」と告げた。
坊主はどうにかして大蛇を鎮めようとしたが効果はなく、人々は困り果てていた。

同じ頃、鹿倉山の麓に右衛門という男が妻と娘と暮らしていた。
ある日、十五歳になる娘のお露は、馬舟の湖畔に浮かぶ小さな岩に白百合を見つけ、岩に手をかけて花に触れた。
すると水底から静かな音楽が流れ出し、岩はお露を乗せて水中に消えた。
右衛門夫妻はお露が行方不明になったことを嘆き悲しみ、それから毎晩、娘が大蛇にさらわれる夢を見るようになった。
それ以来、右衛門は蛇を仇のように憎み、姿を見れば「お露を返せ」と言って殺すようになった。

そんなある日、右衛門は馬舟の湖に浮かぶ小さな岩を見つけた。
岩の上には白百合が咲き、小さな姫蛇が右衛門を見つめていた。
右衛門が怒りに任せ蛇に石を投げ当てると、気味の悪い悲鳴が辺りに轟いた。
悲鳴を聞いた右衛門はその場に倒れ、声を出すことも出来ず、手足も動かせなくなり気を失った。
すると生臭い冷風が吹きつけ、山鳴りと地震が起こり、湖の水は海嘯のように逆立ち、滝となって川へ流れ込んだ。
天変地異は七日七晩続き、治まった頃には馬舟の湖は涸れ、深い谷へと形を変えていた。
そして湖の近くの丘で、血塗れの右衛門と大蛇の死体が発見された。
右衛門の口は大きく裂け、歯は一本も残っていなかったという。
その後、右衛門の妻や村人に不幸が続くようになり、人々は大蛇の祟りだと恐れた。
そこで坊主に三日三晩祈祷してもらい、大蛇の死体があった岩の上に白瀧権現の祠を祀ると、祟りは薄らぎ再び豊作が続いた。
それ以来、高杉村では子供に「〇〇右衛門」という名前をつけなくなった。
また馬舟の白瀧権現は“右衛門塚”とも呼ばれ、歯痛の神として信仰を集めたという。

『天田郡志資料 上巻』「右衛門塚」より


『三和町史 上巻』には「寛政(1789~1801)の頃、角右衛門という男が氷上鴨ノ庄(兵庫県丹波市)から高杉村に引っ越してきたが、祟りを受けて一生不幸が続き、遂に家は絶えてしまった」という、名前のせいで酷い目に遭う男のエピソードが付け加えられています。むごい。


伝承地:福知山市三和町高杉
(右衛門塚は高杉地区の山の中にあるらしいが正確な位置は不明)