光野の稲荷 (みつののいなり)
明和四年(1767)閏九月四日、八代の黒土明神(白鬚神社?)で踊りがあり、それを一匹の狐が覗いていた。
それから二日後、小中村の新右衛門の下女・おヨシがこの狐に憑かれ、物凄い形相で「ウナ(私)は千年前から光野村の喜兵衛の家に棲む狐だ。早々に喜兵衛の家に送り返せ」と叫び続けた。
そこで小中村の人々は弓、鉄砲、脇差、鉦、太鼓などの道具を携え、おヨシを村境まで送って行った。
おヨシは光野村から迎えに来た喜兵衛に「ウナはずっと伏見稲荷に出世することを望んできた。それが叶うよう取り計らえ。そして毎月八日には赤飯と酒を供えて祀るべし」と告げた。
喜兵衛は樒(しきみ)の葉を持ち「約束しますので、この樒に乗り移って下さい」と言うと、おヨシはその場で気絶した。
早速喜兵衛は伏見稲荷へ参り祈祷をしてもらうと、すぐにおヨシは正気に戻ったという。
その後、光野村に社を建て、毎月八日に稲荷を祀るようになると、狐に憑かれる者はいなくなった。
いつしか光野の稲荷は失せ物の神として評判が高まり、各地から多くの参拝者が訪れたという。
『ふるさとのかたりべ』「光野のお稲荷さん」より
現在は毎年七月八日に祭が行われているそうです。
伝承地:綾部市光野町、故屋岡町
