怪しの家 (あやしのいえ)
大正四年(1915)二月二十六日夜十時頃、福知山の陸軍歩兵第二十連隊大隊長・櫻井正吉少佐が何者かに暗殺された。
曽我井村にある櫻井少佐の邸宅は代々工兵科大隊長の別宅として宛がわれていたが、以前から不吉なことが起こると有名だった。
先住の井上大隊長はこの家に住んでから子を失い、更に他国にあった兄も死亡した。
その次に入居した高野大隊長も、同じ日に子と兄を失ったという。
次に木村大隊長が馬丁(馬の世話人)夫婦と共に入居したが、庭の古井戸に物が落ちる音が聞こえたり(後に石垣が崩落する音と判明)、夜毎馬丁がうなされたりと怪事が続いた。
遂に馬丁夫婦は「この家に長居すれば私たちの命が危ない」と訴え、木村大隊長と共に家を出たという。
そして最後に入居したのが櫻井少佐であった。
少佐が暗殺される前、共に入居した馬丁夫妻の妻が突然喀血したことがあり、近隣の人々は「これで厄から逃れられるといいが」と噂した。
だがそこに少佐暗殺の報が入り、人々は「とうとう家の主人まで取り殺した」と話したという。
上記は大正四年三月六日に『神戸又新日報』が報じた記事ですが、その一ヶ月後の四月十一日には、事件後に空き家となった邸宅で怪現象が起こったという続報が掲載されます。
櫻井少佐暗殺事件の後、件の邸宅は空き家となっていた。
だが真夜中になると、裏手の古井戸に面した戸口が物凄い音で軋み出し、室内はにわかに喧騒を極める。
そしてどこからか茶褐色の洋犬三頭が集まり、しきりに吠え立てる。
夜明けが近づくと室内の音は止み、同時に洋犬たちもかき消すように姿を隠すという。
この怪現象は毎夜続いたため、近隣の家主たちは犬殺し(野良の犬猫を殺処分する職業)の者を雇い、洋犬の内二頭を殺害した。
だが怪現象が収まることはなく、それどころか益々酷くなる一方だった。
遂に福知山憲兵隊から四人の憲兵が邸宅に派遣され、夜通し見張ることになった。
すると夜半を過ぎた頃、裏の木戸を軋ませ、何者かが櫻井少佐の元居室に入って行った。
そして泣き声でも笑い声でもない、人とも獣ともつかない奇声を上げ、ひとしきり騒ぎ立てた。
だがその声は絶えてしまい、結局誰も正体を見ることは出来なかったという。
ちなみに櫻井少佐の邸宅は非常に古い建物で、昔から「化物屋敷」と言い伝えられていたが、少佐暗殺事件との関連はわかっていない。
『神戸又新日報』大正四年三月六日「怪しの家」
『神戸又新日報』大正四年四月十一日「大正化物邸」
(元資料『大正期怪異妖怪記事資料集成(上)』)より
『神戸又新日報』大正四年四月十一日「大正化物邸」
(元資料『大正期怪異妖怪記事資料集成(上)』)より
少佐暗殺事件の記事は『神戸又新日報』の他、『朝日新聞』『毎日新聞』『樺太日日新聞』『北陸タイムス』など様々な新聞に見られ、全国的にこぞって報道されたようです。
大正四年四月十日刊『九州日之出新聞』にも空き家となった邸宅で起こった怪現象の記事(内容は『神戸又新日報』と同じ)がありますが、こちらは見出しに「古井戸より現れる故少佐の幽霊」と書かれています。
『九州日之出新聞』は、毎夜邸宅で起こる騒音は櫻井少佐の霊の仕業だと考え、このような見出しをつけたのでしょうか。
ちなみに櫻井少佐は後頭部を銃で撃たれて殺害されたそうですが、結局犯人は見つからないまま迷宮入り事件となりました。(『ふるさとの話題 第53集』)
伝承地:福知山市掘(邸宅は現存していない)