鍬山神社の神罰(くわやまじんじゃのしんばつ)*
矢田郷の医師・坂上康頼は鍬山神社(矢田神社)の祭神を崇敬し、その神助を得て「医王」と称される名医になった。
反対に、鍬山神社に不遜な行いをしたことで神罰を受けた者もいた。
矢田五郎という男は神社の祭壇に登り神面(*)を仰ぎ見たところ、たちまち目が眩み、鼻血を出して階下に投げ出され、口が利けなくなったという。
また野崎五郎というキリスト教徒は「鍬山神社の神もキリスト教徒には敵うまい」と言って神面を取り出すと、目が眩んで倒れ、後に皮膚病を患って死んだという。
更に明智光秀が逆臣として百姓に殺されたのは、亀岡に来た際に鍬山神社の神田を没収し、社殿を破壊したことが原因とも言われている。
『丹波の伝承』「矢田神社の神徳と神罰」より
(*)天岡山の影向石に舞い降りた二つの面を鍬山神社の社宝にしたという伝承があります。その面のこと?
坂上康頼は平安時代の医者で、日本最古の医学書「医心方」を書いた人物と言われています。(『新編 桑下漫録』)
そして彼が住んでいた矢田郷は「医王」の称号に因んで「医王谷」と呼ばれるようになりました。
現在も亀岡市下矢田町には「医王谷」という地名が残されています。
また矢田判官義清という人も鍬山神社の祭神を深く崇敬していたので、神助によって家が繁栄したと伝えられています。
鍬山明神は霊験あらたかですね。
鍬山神社には鍬山明神と八幡明神が祀られていますが、二神は非常に仲が悪く、使いの兎と鳩が夜な夜な代理戦争を繰り広げる話があります。
伝承地:亀岡市上矢田町・鍬山神社