子を道連れにした幽霊
(こをみちづれにしたゆうれい)*
(こをみちづれにしたゆうれい)*
江戸時代、山家藩に道家要蔵という豪胆な侍がいた。
ある日、要蔵は主君の宴に招かれた後、他の侍たちと夜道を帰っていた。
その夜は新月だったが、いつの間にか満月が浮かんでおり、侍たちは不気味だと騒ぎ出した。
そこで要蔵が「月殿、何を血迷ったか。本日のお伴は豪に聞こえた道家要蔵なるぞ」と吼えると、満月はヒョウとかき消え、再び闇夜に戻った。
そして要蔵は侍たちと別れた後、酔い覚ましに和知川の河原へ下りると、対岸から白い人影が川面を滑るように近づいてきた。
それは二十二、三歳の女の幽霊で、足がなく、長い髪を風に揺らしながら宙に浮いていた。
要蔵が「おい幽霊。わしは道家要蔵と申す者。何か用か」と声をかけると、幽霊は頷いて手招きし、村里の方へ向かった。
興味半分でついていくと、やがて幽霊はある家の前で止まり、軒先の鴨居に貼られた神社札を剥がしてほしいと頼んだ。
要蔵が札を剥がすと、何かが脇を通り抜け、同時に心地良い香りがして、気づいた時には札も幽霊も消えていた。
翌朝、要蔵の屋敷の前に透き通るような色白の女が現れ、家人に緞子の包みを渡した。
包みの中には、表に金の昇り龍、裏に銀の下がり龍が細工された小刀が包まれていた。
後に要蔵は、女幽霊と出会ったあの夜、札を剥がした家の赤子が死んだという話を聞いた。
赤子は生まれた時に母を失い、それ以来ずっと泣き続けていたが、死に顔はとても穏やかなものだったという。
先立った母が子を思うあまり、あの世への道連れにしたのだという。
『広報あやべ』1987年7月号「幽霊の母心」より
余談ですが、本文に出てくる道家要蔵は非常に力持ちの人物だったそうで、それを表すエピソードが伝えられています。
江戸時代、山家藩に「獅噛火鉢」という宣徳の丸火鉢があった。
火鉢は江戸屋敷に一つ、山家藩に一つあり、どちらも数人がかりでなければ動かせない程の重さだった。
ある時、この火鉢が江戸幕府の知るところとなり、「公儀に差し出せ」との命令が下った。
そして台覧の日、山家藩藩士の道家要蔵は家臣たちに火鉢を運ばせ、将軍の前に現れた。
すると要蔵は「谷の獅噛火鉢、御覧じませ」と言うなり、火鉢を片手で軽々と持ち上げ、右掌に乗せたまま居並ぶ大名の前を通り過ぎ、籠に乗り込んで藩邸に帰って行った。
それを見た将軍たちは要蔵の膂力と豪胆さに驚き、翌日、殿中の廊下に「谷の小出羽(山家藩主)にすぎたるものは 獅噛火鉢か道家要蔵」と書かれた落首が貼られたという。(『山家史誌』)
後に道家要蔵は山家藩の家老職に就きますが、四十二歳で亡くなったそうです。
伝承地:綾部市戸奈瀬町?