義盛の塔 (よしもりのとう)


西浜谷に“義盛の塔”と呼ばれる供養塔(宝篋印塔)がある。
寛延年中(1748~1751)、当時の領主がこの塔を他の場所に移した。
すると、塔が夜な夜な「浜谷に帰りたい」と泣くので、元の場所に戻したという。

『旅と伝説』5巻10号「伊勢三郎義盛の旧跡」より


義盛(伊勢三郎義盛)は源義経の家来とされる人物です。
義経一行は兄・頼朝と決別した後、しばらく篠山の三嶽山に潜伏していたとされ、その間に義盛は死亡したとも、鈴鹿山で自刃したとも、義経と共に奥州で討ち死にしたとも言われています。
義盛の塔と呼ばれる供養塔は、義盛の死後、西浜谷の村人たちによって建てられたと伝えられています。


伝承地:丹波篠山市西浜谷