日浦が谷の大蛇 (ひうらがだにのだいじゃ)


弘治年間(1555~1558)、女布に一色氏家臣の森脇宗坡(そうは)という武士がいた。
宗坡の娘は何鹿(綾部市)に嫁いでいたが、ある時、実家へ戻る途中で城屋の日浦が谷に棲む大蛇に喰い殺された。
その知らせを聞いた宗坡は怒り狂い、日浦が谷へ駆けつけると弓矢で大蛇を射た。
ところが大蛇は爛々と目を怒らせ、毒の炎を吐きながら宗坡に向けて押し寄せて来た。
すると宗坡の足元に暴風が起こり、雷が頭上をかすめ、豪雨が降り注ぎ、天も地も闇に包まれ、谷は激しく鳴動した。
その凄まじさに、宗坡はやむを得ず隠迫という谷間に身を隠し、追ってきた大蛇を射殺した。
そして大蛇の死体を三つに斬ったところ、天変地異は治まったという。
その後、大蛇の頭部は城屋の雨引神社、胴体は野村寺の中の森神社、尾は由里の尾の森神社に祀られた。
以来、雨引神社は雨乞いの神として信仰を集め、宗坡が大蛇を倒した旧暦七月十四日には、炎を吐く大蛇にちなんだ「揚松明」という祭が行われるている。

『加佐郡誌(全)』「城屋の揚松明(舞鶴による説)」より


参考にした『加佐郡誌』では「森脇宗坡が大蛇を退治し、死体を三つに斬った」と書かれていますが、『まいづる田辺道しるべ』という本では、「昔、城屋に大きなマカニ(真蟹)が棲んでいた。森脇宗坡の娘が日浦が谷で大蛇に喰われ、怒った宗坡はただちに大蛇を退治した。その死体を三つに斬ったのがこの大きなマカニだった」とあります。
また城屋には「マカベ」という小字があり、これは「マカニ」が訛ったものではないかと考えられています。
大蛇の切断を手伝った謎のでかいカニ……かなり興味深い内容ですが、これ以上の情報が載っていないので詳しいことはわかりません。残念。
ちなみに『森と神々の民俗』という本では、森脇宗坡は一色氏ではなく京極氏の家臣で、その娘は日浦が谷のオロチに魅入られて気が狂ったとあり、『加佐郡誌』とは微妙に違う内容になっています。


雨引神社
城屋の雨引神社。
切断した大蛇の頭が祀られていて、地元では「蛇神(じゃがみ)さん」と呼ばれています。
この神社では毎年八月十四日の夜、高さ約16mの大松明に手持ちサイズの松明を投げ上げて火を点ける「城屋の揚松明」という行事が行われています。


伝承地:舞鶴市城屋