諏訪神社の大蛇 (すわじんじゃのだいじゃ)*
天平勝宝の頃(749~757)、古佐の与惚九郎という男が信濃国(長野県)の諏訪神社へ行き、分霊をいただいて丹波国に帰ってきた。
篠山川に架かる渡瀬橋まで来た時、それまでずっと後ろをついて来ていた娘が急に立ち止まり、川へ飛び込んだ。
たちまち娘は恐ろしい大蛇となり、「私は諏訪神社の神霊だ。あそこに見える山(西岡屋の飛の山)は七尾七谷と見受ける。眺めも良いのであの山に鎮まりたい」と告げて姿を消した。
早速、与惚九郎は飛の山を切り拓き、諏訪神社の分霊を祀った。
すると急に天地が振動し、激しい雷雨と共に大蛇が現れ、飛の山を取り巻いて「私は子供が好きだ。安産させよう」と告げた。
それ以来、諏訪神社の御神体は蛇体であると言われ、長い間社殿を作らず、大杉(または桧)の古株を神木とし、注連縄をかけて拝んでいた。
また、昔は諏訪神社の祭の日になると、どこからともなく太った大猪が現れ、自ら神の供物になったという。
『郷土の民話(丹有編)』「与惣九郎の見た大蛇」
『現地案内板』より

西岡屋の諏訪神社。
祭神は健御名方神の他、八坂刀売神、八重事代主神を祀っています。
日露戦争の時、この神社の御守りを持って出征した西岡屋の氏子は誰も負傷・戦死しなかったことから、武運の神様として信仰されました。
また本文にもあるように、諏訪神社の神様は子供好きだと言われています。
昔、諏訪神社は賽銭箱を置かず、賽物は参拝者の投げ入れのままとし、十五歳未満の子供に拾わせる習わしでした。
ですがあまりに賽物が多いので賽銭箱を設置したところ、その年に疫病が流行り多くの死者が出ました。
困り果てた氏子たちが神社に参拝すると「賽銭箱を受けたればなり(賽銭箱を置いたからだ)」という神様のお告げがあったので、ただちに賽銭箱を外し謝罪しました。
その後、神殿の上段は男子、下段は女子として、六歳~十五歳の子供に賽物を拾わせることにし、多い時は百人以上の子供が参拝者の投げる賽物を我先にと拾い合いましたが、不思議と誰も怪我をしなかったそうです。
ですが明治三十八年(1905)にこの制度は廃止され、賽物は子供たちに分配されるようになりました。(『西岡屋ちょっとむかしの話』)
子供好きの神様はちょっと不満かもしれませんね。

ちなみに諏訪神社の奥には、力士に化けて相撲を取った狐・飛ノ山三四郎を祀る三白(三四郎)稲荷神社があります。
伝承地:丹波篠山市西岡屋