長船の刀 (おさふねのかたな)


大正十四年(1925)頃、川北の稲粒神社の道具箱の中から数本の刀が発見され、その中に長船の刀があった。
人々はこの刀を神社の御神刀にしようと考え、研師に研いでもらった。
刀は二尺二、三寸(約66~70cm)程で、刀身に二箇所程黒ずんだ所があった。
これは人の血を吸った跡で、研師は刀を研いでいる時、二日程うなされたという。

長船の刀が稲粒神社に納められていた理由として、このような言い伝えがある。
戦国時代、猪崎城城主・塩見大膳守は明智光秀に居城を攻められ、川北に落ち延びた。
その時、大膳守は近くにいた農夫に自分の刀を与え、追手が来ても行方を言わないように頼み、印内(川北の北部)へ逃走した。
だが、農夫は追って来た明智方の兵士にすごい剣幕で問い詰められ、恐ろしくなって大膳守の行方を喋ってしまった。
そして大膳守は追手に発見され、遂に大砂利という所で討たれた。
その後、農夫は大膳守の刀を大事にしていたが、家に不幸が続いたので、これは刀の祟りだと考え、稲粒神社に納めたという。
また一説に、志賀の夜嵐という力士が戦勝祈願のため、稲粒神社に大刀を、志賀の神社に小刀を納めて願をかけたとも言われている。

『語りつぐ 福知山老人の知恵』「長船の刀」より


塩見大膳守の刀は御神刀として稲粒神社本殿に納められましたが、すぐに盗まれてしまったそうです。世知辛い。



伝承地:福知山市川北