夜泣石 (よなきいし)
暦応四年(1341)、足利尊氏は後醍醐天皇の供養のため、猪崎に醍醐寺を建立した。
工事が始まり、境内の地均しをしている時、五段に階層のある奇形の台石と大きな盤石が発掘されたので、これらを庭の隅に据え置いた。
尊氏は時々現場に来ていたが、その際はこの盤石を踏み、台石に腰掛けて工事を監督したという。
そして立派な大伽藍が完成し、住職は尊氏が腰掛けた台石を腰掛石、尊氏の足跡が残された盤石を足跡石と名づけ、共に庭園に据えて大切に保存した。
時は移り江戸時代、福知山藩藩主の朽木公は、醍醐寺の近くにある原野でよく鴨猟を行っていた。
猟の時はいつも醍醐寺で休憩をしていたが、ある日、庭園で見かけた腰掛石に一目惚れした。
それからというもの、朽木公は猟の度に寺を訪れては「この石を譲ってくれ」と懇望するので、住職も遂に断り切れず、腰掛石を献上した。
朽木公は喜び、早速石を城内に運ばせ、寝所の近くの庭園に据え置いた。
ところが深夜になると、庭園の腰掛石が「醍醐寺へ帰りたい」と泣くようになった。
あまり執拗に泣き続けるので朽木公も困り果て、遂に石を醍醐寺へ返却したという。
以来、腰掛石は夜泣石と名前を変え、足跡石と共に寺の名石として大切に保管されている。
『猪崎の伝説と民話』「醍醐寺と足利尊氏・夢告地蔵と夜泣石」より
石が泣くお話。
→男岩(福知山市)
→男岩(福知山市)
伝承地:福知山市猪崎・醍醐寺