人形の怪 (にんぎょうのかい)*
昔、丹波国の山里に乙部某という裕福な庄屋の家があり、一人の娘がいた。
娘は幼くして母を亡くしたが、田舎には稀な美しい容貌で、富豪の一人娘ということもあって大切に育てられた。
娘が十三歳になった頃、福知山城下に人形芝居の一座が訪れ、見物人が山のように押し寄せた。
娘も乳母に連れられて芝居を見物に来たが、田舎育ちの娘は人形の巧みな振舞いに魅了され、特に小野頼風(*)が女郎花という女と契る場面に感じ入った。
それ以来、娘はまだ見ぬ恋人に想いを馳せるようになり、心は上の空で思いはくずおれ、やがて病を患い床に伏してしまった。
娘は日に日に衰弱していき、遂に心の悩みに耐え切れず、乳母に「父に頼んでこの間の芝居で見た小野頼風の人形を手に入れてほしい」と涙ながらに訴えた。
乳母から話を聞いた父は、溺愛する我が子のためならばと人形芝居の一座の元を訪れ、大金を払って強引に頼風人形を買い取った。
すると娘はとても喜び、病も忘れて人形を可愛がった。
常に人形を抱きかかえ、共に食事をし、服を着せて髪を結い、夜は同じ布団で眠り、物も言わず笑いもしない人形に語りかける様は、まるで気が狂ったようだった。
時が経ち、娘が十六歳になった頃、父は名家から婿を取って家を継がせようと考えた。
娘も物言わぬ人形を愛でることが虚しくなったのか、その婚姻を承諾した。
娘も物言わぬ人形を愛でることが虚しくなったのか、その婚姻を承諾した。
そして婚礼の日、乙部の親族が集まる中、娘は婚礼の杯を取り上げて婿に渡そうとした。
するとその時、件の頼風人形がどこからか走って来て、娘の持つ杯を叩き落とし、そのまま娘の膝に抱きついて倒れた。
それを見た人々は慌てふためき、婚礼の場は騒然となり、娘は高熱を発して意識朦朧の状態に陥った。
父は「これはきっと狐狸の仕業に違いない。この人形は打ち砕いて捨ててしまおう」と言って、鋤や鍬を振るい人形を粉々に破壊した。
更に後から祟りがないようにと、近くに住む修験者を招き、事情を説明した。
すると修験者は「それは狐狸の仕業ではない。昔、異国で暑さに苦しむ女が鉄柱に抱きついて涼を取っていたが、鉄柱の気を感じて懐妊し、鉄丸を産んだ例もある。今回は人の形を具えた物を長い間深く執着したことで、その念を感じた人形が怪事をなしたのだ。このままではまた怪事が起こるので力の限り害意を除いてみよう」と言った。
そして修験者は粉々になった人形の破片を集め、壺に収めて固く封をしてから、近くの山の麓に深く埋めて懇ろに供養した。
すると娘も少し回復したように見え、人々は大いに喜び、修験者に頼んで更にお祓いをしてもらった。
ところがある夜、娘はうたた寝をする看病人の目を盗み、寝床を出て行方を眩ませた。
人々は驚き、手分けして方々を捜索したところ、娘は頼風人形を埋めた所の囲いの中にいた。
娘は、片手を土の中に引き込まれた状態で事切れていた。
あまりの出来事に人々は声も出ず、父は狂ったように泣き叫んだが、最早どうしようもなく、修験者に全てを話して供養を行うことにした。
あまりの出来事に人々は声も出ず、父は狂ったように泣き叫んだが、最早どうしようもなく、修験者に全てを話して供養を行うことにした。
これは心のない人形が長い間妄念に囚われた結果、悉皆成仏(「万物は仏になる」という仏教の言葉)の道を誤ったからだという。
せめて罪障消滅のためにと、人形と同じ土の中に娘の亡骸を埋め、五輪塔を建てて懇ろに弔った。
今も近隣の人々はそこを「人形塚」と呼び、この怪事を語り伝えている。
『奇説雑談』巻之二「木偶恋慕に感じて処女と同穴を契事」より
(*)小野頼風は能楽「女郎花」に登場する人物。頼風は都の女と恋仲にあったが別の女に浮気する。女は頼風が自分を捨てたこと恨み川へ入水。すると女の死体を埋めた塚から女郎花が生えた。だが頼風が近寄ると花は離れてしまい決して触れられない。頼風は悲しみのあまり女の後を追って入水。後に邪淫の因業で責め苦を受ける頼風の霊が塚から現れ旅の僧に成仏を願う、というもの。(『読謡集 第十巻』)
伝承地:丹波のどこか(福知山市?)