なえ
深山幽谷には山怪が棲み、時々人里に出ては女と交わり、生まれた子を山へ連れ帰るという話がある。
昔、丹後国三石村に吉右衛門という男がいた。
ある時、吉右衛門の女房は異体のものと交わる夢を見て、それから妊娠して一人の男児を産んだ。
ところが、その男児は生まれつき体が萎えており、成長しても立ち上がることが出来ず、言葉もはっきりと話せなかった。
三石村では子供が生まれると他人に名を付けてもらい、その名付け親が生きている間は毎年、歳暮の祝いとして米一俵を送る習わしがあった。
だが男児は不具だったので誰にも名前を付けてもらえず、ただ“なえ”と呼ばれていた。
なえが十四歳の年の暮れのこと、彼の両親は「他の子供たちは皆名付け親の元に米を届けに行くというのに、お前は不具に生まれ名付け親さえなく、私たちの足手まといになっている。早く死んで次は常人に生まれてくれ」と呟いた。
すると、なえは父に向かい「私にも米俵をくれ。名付け親に持って行くから」と言った。
父は「お前にどこの誰が名を付けると言うんだ」と嘲笑ったが、それでもしつこく要求するので、米一俵を庭に運び、「一間(約1.8m)も歩けない体のくせに、どうやってこの俵に手をかけるんだ。望み通りお前にくれてやるから名付け親に持って行け」とからかった。
ところが、なえはとても嬉しそうな顔をして立ち上がると、つかつかと俵に歩み寄って軽々と抱え上げ、後ろも見ずに家を出て行った。
両親は「なえは立つことすら出来ないはずなのに、重い俵を苦もなく担いで出て行くとはどういうことだ。それに、なえは一体どこへ向かったんだ」と大いに驚き、吉右衛門はなえの跡を追った。
両親は「なえは立つことすら出来ないはずなのに、重い俵を苦もなく担いで出て行くとはどういうことだ。それに、なえは一体どこへ向かったんだ」と大いに驚き、吉右衛門はなえの跡を追った。
なえは飛ぶようにして道を進み、二十町(約2.2km)程歩いたところで山に入ると、山奥にある大池まで駆け登った。
その大池は昔から主が棲んでいると言われており、そのために小魚さえ獲る者もなく、青々とした深淵になっていた。
なえは平地を歩くように水面をするすると進み、池の真ん中まで行って直立し、担いでいた俵を水中へ投げ落とした。
それと同時に空がかき曇り、篠を突くような雨が降り注いだかと思うと、池の水が逆立ち、なえは立ったまま水底に沈んで行った。
吉右衛門は驚き、転がりながら山を下りたが、麓まで来ると今まで暗かった空は晴れ渡り、雨が降った形跡はどこにも見られなかった。
その後、吉右衛門の家になえの障りはなかったという。
『怪談藻塩草』四之巻「池の霊子を生る話」より
吉右衛門の女房が夢でまぐわった異体のものは大池の主で、なえはその間に生まれた子供だったんですね。
なえは祝いの米を手土産に水底の親元へ帰って行ったんでしょうか。
『怪談藻塩草』…寛政十三年(1801)に浮世絵師&読み本作の速水春暁斎が出版した怪談集。挿絵も春暁斎が描いている。多才。
伝承地:丹後のどこか(三石村の正確な場所は不明)