大火の玉 (おおひのたま)
明治十三年(1880)三月十八日午前六時、丹後国中郡大野村(京丹後市大宮町)の戸外がにわかに万灯を灯したように明るくなり、火事の煙に似たものが空にかかった。
それは女帯を二筋合わせた程で、湯の煮立つように渦を巻き、色は青く、北東から南の方へ湾曲しているのが見えたという。
しばらくして雷のような音が響き、山野が一斉に震動した。
その時屋外にいた者は、長福寺の裏手から五升樽程の火の玉が昇り、東の方に飛び去るのを見たという。
煙のように見えたのは、この火の玉が飛行した跡だと考えられた。
その二十分後の午前六時二十分、但馬国豊岡(兵庫県豊岡市)では、見開山(三開山)の頂上に黒雲が湧き起こり、その中から周囲およそ八間程の火の玉が舞い出した。
火の玉は金色を帯びて尾を七、八間ばかり引きながら北西の方に二里程飛行した後、三つに分かれて連なり、今度は北東の方へ二里程飛び、やがて薄雲と化した。
その時、雷鳴のような音と激しい地響きが起こり、家々の障子や雨戸がおよそ八分間ガタガタと揺れ動いたという。
更に十分後の午前六時三十分には、近江国坂本村(滋賀県大津市)に直径三尺程の火の玉が東の方から現れたという。
火の玉は琵琶湖の上空をよぎり、虹のような尾を引いて比叡山の西方へ沈んだが、その後、地震のように地面が震動したという。
『日本猟奇史 明治時代篇』「直径三尺ほどの大火の玉が近畿の空を飛ぶ」より
参考資料は大火の玉出現を近江国→但馬国→丹後国の順に書いていますが、当ブログでは時系列順に再編して紹介しました。
伝承地:京丹後市大宮町奥大野他