丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

京丹後市

依遅ヶ尾の大蛇

依遅ヶ尾の大蛇 (いちがおのだいじゃ)


昔、依遅ヶ尾の山に大蛇が棲んでいた。
ある時、大蛇は斎神社の神姫に一目惚れしたが、神社の神威に打たれ、どうしても境内に入れずにいた。
祭神の天照大神は大蛇を哀れみ、「二百十日後の午後二時に斎神社の御旅所へ行けば恋を叶えてやる」と告げた。
更に神姫にも、「二百十日後の午後二時頃、とても良いことがあるので斉神社の御旅所へ行くように」という夢を見せた。
そして二百十日後の約束の日、神姫は夢のお告げに従い、御旅所に籠って祝詞を上げていた。
ところが午後一時になった頃、すさまじい大雨が降り注ぎ、瞬く間に付近の田畑は水の中に沈んでしまった。
御旅所は高い位置にあったので水没を免れたが、神姫は帰ることが出来ず祝詞を唱え続けた。
そして午後二時になり、依遅ヶ尾から大蛇が黒雲に乗って神姫に会いに来た。
ところがまたしても斎神社の神威に打たれてしまい、神姫に近づくことが出来ず立岩の沖に落下した。
この時、海のそばに住む人々は、嵐の中から神姫を吸いつけるように睨む大蛇の眼光を目撃したという。
こうして大蛇の恋は遂げられないまま、それから何千年もの間、二百十日(*)の午後二時になると、大蛇は依遅ヶ尾から黒雲に乗って立岩の沖へ現れ続けた。
だが大蛇も年を取り、間違えて二、三日早く現れたり、逆に四、五日遅れて来たりするようになった。
近年にも、二百十日に立岩の沖から陸を睨む大蛇の眼光を見た人があったという。

『丹後の民話 第三集 -ふるさとのむかしばなし-』「依遅ヶ尾の大蛇と斎神社の神姫の恋」より


(*)二百十日…立春の日から数えて二百十日目の日(九月一日頃)で、この日は台風が来る厄日とされ風害を防ぐための風習(風祭)が行われていた。

神様が神社の神威バリアーを解いてくれなかったのか、それとも神姫が祝詞を唱えていたせいで入れなかったのか……何にせよ大蛇が不憫。
ちなみに斎神社(斎宮神社)は依遅ヶ尾山の西麓にある竹野神社の摂社のことで、青葉山の土蜘蛛・陸耳御笠を征伐した日子坐王命や開化天皇の妻・竹野媛命を祀っています。
丹後の古地誌『丹後旧事記』には、「昔、依遅神社に棲む霊蛇が竹野神社の神女を取っていたので金丸(麻呂子親王?)という者が退治した。また風土記(『丹後国風土記』?)曰く、竹野神社の斎女が初潮を迎えると依遅ヶ尾の山に黒雲がかかり、三頭五尾の大蛇が現れ斎女を睨みつける。それを限りとして斎女は郷里に帰らなければならなかった」という話があります。
また竹野神社には、「天下に凶徒がはびこる時は社殿が鳴動し、宮中の神箭がことごとく飛び出して海の中に入る」という言い伝えがあるそうです。(『神社啓蒙』)

竹野神社の秘祭


伝承地:京丹後市丹後町宮・竹野神社


わらじくれ

わらじくれ


昔、ある博労(牛馬の仲買人)の男が来見谷(弥栄町)へ牛の商談に行き、夜に大金坂を帰っていた。
その途中にある「山の神さん」という椎の木の森まで来た時、ピッチャ、ピッチャと足音が聞こえたが、振り返っても誰もいなかった。
だが歩き出すと「わらじくれ、わらじくれ」という声がしたので、博労は狸の仕業だと思い、「ほら、やろう」と言って片方のわらじを放り投げた。
ところが大栗谷口まで来ると、また「わらじくれ、わらじくれ」という声がしたので、「そんならやろう」と言ってもう片方のわらじを放り投げると、声は聞こえなくなった。
翌朝、再び山の神さんの所まで行ってみたが、投げたわらじはどこにも見当たらなかった。
博労は「狸が足が痛いので「わらじくれ」と言ったのだろう」と思ったという。

『チャンポンと鳴る鼓滝 京都府京丹後市弥栄町船木の民話』「わらじくれ」より


狸は四足歩行だからもう二足必要なのでは。
立って歩いて帰ったのかな。

音を立てながらついてくるもの。


伝承地:京丹後市弥栄町船木


狐の提灯

狐の提灯 (きつねのちょうちん)


昔、弥助という男が長者の家で御馳走になり、土産を手に夜道を帰っていた。
だが途中で提灯の列に出会い、気づくと土産がなくなっていたので、狐に盗られたと思い列の跡をつけた。
土産を盗んだ狐は一張りの提灯を持っており、それを回す毎に提灯が一張りずつ増えていった。
弥助はそれを面白がり、狐が土産を食べている隙に提灯を盗んで逃げ帰った。
そして近所の子供を集めて狐の提灯を披露したところ、たちまち評判になった。
ある雨の日、見かけない顔の子供が来て「提灯を見せてほしい」とせがんだが、弥助は「雨が降っているので提灯が痛む」と言って断った。
子供は落胆して帰って行ったが、それは提灯を取り返そうとした子狐が化けたものだった。
やがて秋祭になり、その日も弥助は狐の提灯を披露していたが、酒やご馳走を振舞われて楽しんでいる間に提灯を狐に盗られてしまった。
それからしばらく経ったある夜、弥助は山に沢山の提灯が灯るのを見かけ、山へ向かった。
川辺に狐の親子がいたので様子を窺っていると、子狐が水を飲もうとした拍子に川に落ちてしまった。
それを見た母狐は慌てて助けに行き、弥助はその隙をついて狐の提灯を盗み返したという。

『丹後町の民話』「きつねのちょうちん 油断大敵」より


伝承地:京丹後市丹後町遠下


大火の玉

大火の玉 (おおひのたま)


明治十三年(1880)三月十八日午前六時、丹後国中郡大野村(京丹後市大宮町)の戸外がにわかに万灯を灯したように明るくなり、火事の煙に似たものが空にかかった。
それは女帯を二筋合わせた程で、湯の煮立つように渦を巻き、色は青く、北東から南の方へ湾曲しているのが見えたという。
しばらくして雷のような音が響き、山野が一斉に震動した。
その時屋外にいた者は、長福寺の裏手から五升樽程の火の玉が昇り、東の方に飛び去るのを見たという。
煙のように見えたのは、この火の玉が飛行した跡だと考えられた。

その二十分後の午前六時二十分、但馬国豊岡(兵庫県豊岡市)では、見開山(三開山)の頂上に黒雲が湧き起こり、その中から周囲およそ八間程の火の玉が舞い出した。
火の玉は金色を帯びて尾を七、八間ばかり引きながら北西の方に二里程飛行した後、三つに分かれて連なり、今度は北東の方へ二里程飛び、やがて薄雲と化した。
その時、雷鳴のような音と激しい地響きが起こり、家々の障子や雨戸がおよそ八分間ガタガタと揺れ動いたという。

更に十分後の午前六時三十分には、近江国坂本村(滋賀県大津市)に直径三尺程の火の玉が東の方から現れたという。
火の玉は琵琶湖の上空をよぎり、虹のような尾を引いて比叡山の西方へ沈んだが、その後、地震のように地面が震動したという。

『日本猟奇史 明治時代篇』「直径三尺ほどの大火の玉が近畿の空を飛ぶ」より


参考資料は大火の玉出現を近江国→但馬国→丹後国の順に書いていますが、当ブログでは時系列順に再編して紹介しました。


伝承地:京丹後市大宮町奥大野他


鏡石

鏡石 (かがみいし)


栃谷の天長ヶ滝へ向かう途中の籠堂に“鏡石”という石がある。
昔、ある人が邪魔になると言って鏡石を谷底に突き落とした。
ところが翌日には元の所に戻っていたので、その人は神に謝り許してもらったという。
また天長ヶ滝の滝壺には、神の使姫の白鰻が棲んでいると言い伝えられている。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「甲坂の不動さん」より


その他の鏡石


伝承地:京丹後市久美浜町栃谷


如意寺の白鳥

如意寺の白鳥 (にょいじのはくちょう)


昔、神崎の猟師が久美浜湾で鳥猟をしていた。
すると西にある如意寺の方から白鳥が飛び出してきたので、すかさず銃を撃ち放った。
弾は白鳥の目に命中したが、その瞬間、猟師は盲目になってしまった。
それ以来、この猟師の家は代々目の悪い者が絶えなかったという。
一方、目を撃たれた白鳥は如意寺の泉に降り、その水で目を洗ったところ、たちまち元のように治ったという。
このことから如意寺の泉は眼病の霊薬として広く伝わり、目を病む者が多く参詣するようになった。

『熊野郡伝説史』「如意寺閼伽井の水(久美浜町)」より


白鳥は如意寺の観音が姿を変えたもので、撃たれた目の痛みに感じて、眼病の人を救う目の神様になったとも言われています。

閼伽井の水
如意寺境内にある霊水「閼伽井(あかい)の水」
祠からチョロチョロと水が流れ続けています。
白鳥が目を洗ったとされる泉の水で、眼病をはじめ様々な病に効くと言われています。


伝承地:京丹後市久美浜町・如意寺


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