丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

京都市

天狗さん

天狗さん (てんぐさん)


漆谷の分水嶺に近い山に、立て岩という岩がある。
その山の峰近くに二帖敷き程の台座があり、そこは「天狗さんの休憩所」と呼ばれている。
また、同じ谷の上の方に燈籠杉という木があり、そこにいつでも火が灯るという。
天狗さんは千本松という松から真向かいの立て岩へ行き、更にそこから燈籠杉へ回って遊んでいるという。

昔、加衛門という老人が、天狗さんにつままれて行方不明になった。
村人たちは鐘や太鼓を鳴らし、「加衛門返せ」と言いながら捜索すると、四日目に青ざめた顔の加衛門が帰って来た。
それから天狗さんは非常に恐れられたという。
ところがある時、木樵が千本松と燈籠杉を切ろうと考え、木にヨキ(斧)を打ち込んだ。
天狗さんの木を切る時は、打ち込んだヨキがそのまま木についていれば切っても良いが、ヨキがポオンと放り出されている場合は「天狗が放った」と言って切らないという。
すると翌日、打ち込んだヨキが放られていたので、木樵は「これは恐ろしい。こんなもの切ったらいかん」と思い、切るのを止めたという。
だがその後、別の木樵が「天狗もくそもあるもんか」と言って、燈籠杉を切ってしまった。
その木樵は燈籠杉を売って儲けたが、帰宅して間もなく死亡したという。

『伝承文芸 第十号 -丹波地方昔話集-』「天狗さんの話」より


伝承地:京都市右京区京北井戸町


五、八寸

五、八寸 (ごはっすん)


矢代の松寿寺が無住の頃、留守番の老人が住んでいた。
老人は趣味で寺の裏山を歩き回っていたが、ある時、そこで“五、八寸”に遭遇した。
五、八寸は体長五寸(約18cm)、太さ八寸(約23cm)程の丸く短い蛇で「つちのこ」とも呼ばれている。
猛毒を持ち、目つきが鋭く、頭と尾を使って6mも跳ぶという。
五、八寸に遭遇したら逃げ出さず、逆に目を剥いて睨みつければ良いという。
睨み合えば五、八寸はじりじりと後ずさりし、隙を見て一目散に逃げて行くという。

『続 京北の昔がたり』「五、八寸」より


長野県にも五、八寸と呼ばれる太短い蛇がいたそうです。
この五、八寸は10mもジャンプして人々を驚かせていたので、村一番の奇人・九右衛門とその息子、大力無双の九一によって退治されたと伝えられています。(『続 京北の昔がたり』)

他の地域のツチノコたち。
ヨコズチ(南丹市)


伝承地:京都市右京区京北矢代中町


蚊帳の幽霊

蚊帳の幽霊 (かやのゆうれい)


昔、ある中学校の校長が愛人と一緒に蚊帳の中で眠っていた。
それを見た校長の妻は、蚊帳の外で首を切って自殺した。
その蚊帳は古着屋に売られ、後にある大学生が安価で借り受けた。
だがその蚊帳を吊って寝ていると、息が苦しくなり、部屋の片隅からすすり泣く声が聞こえてくる。
それが三日も続いたので怖くなり、古着屋に蚊帳を調べるよう訴えた。
すると蚊帳には自殺した妻の返り血がついていたという。

『丹後の民話 第一集 -いかがのはなし-』「蚊帳がこわい話」より


この話は京丹後出身の話者が京都にいた時に聞いた話とあるので、おそらく舞台は京都市だと思いますが正確な場所は不明です。
それにつけても校長ひどい。


伝承地:京都市のどこか

化け石

化け石 (ばけいし)


中京区醒ヶ井通錦小路下る東側の民家の横に、狸が憑いている石がある。
夜に前を通ると石が壁に化けて通さなかった、石を蹴った人が病気になった、石が煙草を吸っていた、というような話があり、人々はこの石を恐れている。
また丸太橋(丸太町橋?)辺りには、毎夜位置が変わる石があるという。

『改訂 京都民俗志』「化け石」より


大猫に化けて武士に斬られた化け石の話はこちら。


伝承地:京都市中京区醒ヶ井通錦小路下る(石の位置は不明。現存していない?)


庵那寺の人喰い狸

庵那寺の人喰い狸 (あんなじのひとくいだぬき)


昔、西谷の山奥の庵那寺という寺に、庵主が一人で住んでいた。
ある時、世話役の茂兵衛という男が、庵那寺に食料を届けに来た。
庵主は荷物にあったよもぎのぼた餅を喜んで食べながら「最近、夜になると川向かいの塚辺りから、ブンブンと綿を打つ音やドスンドスンと大木を伐り倒す音が聞こえる」と話した。
茂兵衛は「それは古狸の仕業だ。庵主を化かして丸ごと喰おうと、近くまで来ているのだ」と脅かした。
数日後、茂兵衛は利助という若者と共に、食料を持って再び寺に向かった。
だが庵主は笑顔も見せず、薄暗い台所の奥に座ったままだった。
茂兵衛は不思議に思いながら囲炉裏端を見ると、前に持って来たよもぎのぼた餅の重箱が散乱していた。
それを見た茂兵衛は狸が庵主に化けていることに気づき、囲炉裏の火箸を投げつけた。
すると庵主は「キャン、キャン」と悲鳴を上げて逃げ出した。その着物の裾からは狸の太い尾が覗いていた。
続いて利助が天秤棒で殴りつけたが、狸は谷に逃げ込んで姿を隠してしまった。
茂兵衛たちは狸の餌食になった庵主の死を悼み、遺骸を川向かいの塚に葬った。
その後、廃寺となった庵那寺は「庵那屋敷」、庵主を埋めた塚は「塚谷」、狸が逃げた谷は「抜谷」と呼ばれるようになった。

『京北の昔がたり』「庵那屋敷」より


伝承地:京都市右京区京北柏原町西谷


毛虫の大坊主

毛虫の大坊主 (けむしのおおぼうず)


嘉永七年(1854)四月六日、御所のある公家の屋敷で奉公していた娘が、主人の留守中に一人で風呂を沸かしていた。
ふと傍らを見ると、三、四寸(約9~12cm)もの大毛虫がいたので、娘は火箸で挟んで風呂の竈にくべた。
すると煙出しから風呂の屋根に上がった煙が、緋色の法衣を着た大きな坊主になり、ピョイピョイと屋根から屋根へと飛び回った。
その大坊主が止まった所からは火が出て、皇宮を始め京の町を焼き尽くす大火事となった。
娘は罪を恐れて古井戸に身を投げたが、空井戸だったため四日後に救出され、失火罪として島流しになった。
だが明治維新で娘は赦免され、出身の浄土寺村へ戻った後、鹿ヶ谷法然院に仕え僧侶の法衣を縫うようになった。
娘は縫い方にわからないところがあれば、鹿ヶ谷村の裁縫の師匠に習いに来ていたが、その時、寺子の娘たちに懺悔話として嘉永の大火のことをよく話したという。

『郷土趣味』3巻9号「京都洛東 鹿ヶ谷雑話」より


伝承地:京都市上京区京都御苑(仙洞御所付近?)


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