丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

京都市

火の形をした小猫

火の形をした小猫 (ひのかたちをしたこねこ)


享保十九年(1734)六月六日、夜半頃から風雨になり、その雲の中に小猫のようなものがいた。
小猫は火のような形をしており、凄まじい声を上げて北東の方へ飛んで行った。
この夜は風雨が家々を打つ音だけでなく、小猫が家屋にぶつかる音も激しく聞こえたという。
この影響で七日の祇園祭は山鉾を包んで巡行し、賀茂川も洪水になったので神輿を三条へ迂回させたという。
あるいは火の玉が飛んでいたとも言われ、あちこちで目撃者がいた。
四条河原の茶屋では、小屋を片づけていた二人が死亡したという。


『月堂見聞集 巻之二十九』より


伝承地:京都市各所


瀧の大蛇

瀧の大蛇 (たきのだいじゃ)


広河原下之町の早稲谷の奥には「びんごの瀧」という瀧が、そして山を越えた先の光砥谷には「から瀧」という瀧があり、この二つの瀧をねぐらにする大蛇がいるという。
昔、早稲谷の奥に住む女が米を搗いている時、蛇が臼に入り込んだが、女はそれに気づかず一緒に搗いてしまった。
だが蛇の混ざった米は食べられないので、女は通りすがりの遍路に渡した。
その後、半身が蛇のような子供が生まれたが育つ力がなく、哀れんだ女はびんごの瀧に放したという。
この子供が龍になって瀧に棲み着いたとも言われている。

『京都廣河原民俗誌』「びんごの瀧(下之町早稲谷)」より


伝承地:京都市左京区広河原下之町・能見町(瀧の正確な場所は不明)


鼻の勘九郎側七兵衛

鼻の勘九郎側七兵衛 (はなのかんくろうほてしちべえ)


昔、京の町に悪さをする狐がいて、鼻の側が黒いことから「鼻の勘九郎、側(ほて)七兵衛」と呼ばれていた。
ある時、丹後の明田から京都へ嫁いだ女がこの狐に取り憑かれた。
そこで「どこから来たのか」と問うと「明田の王城跡(大長師)から来た」と答えた。
それならば小豆飯を炊いて送ってやると、京の外れで女を押し倒すと、狐は彼女から離れて逃げて行ったという。
ちなみに鼻の勘九郎側七兵衛は、生まれの明田では「他の狐に悪さをするな」と言って、あまり悪さをしなかったという。

『丹後の民話 第一集 いかがのはなし』「王城跡きつね」
『おおみやの民話』「大長師ぎつね」より


『丹後の民話 第一集』では、鼻の勘九郎側七兵衛の出身は「王城跡」とありますが、これはおそらく明田の小字「大長師(おちょうし)」の間違いではないかと思われます。


伝承地:京都市(地図は出身の京丹後市大宮町明田)


木娘

木娘 (きむすめ)


南桑田郡保津村西垣内の保津川(大堰川)の堤防には、落葉樹が並んで植えられている。
夜にそれらの木を凝視していると、美しい丸髷の娘が物思いに耽るような姿で浮かび出るという。
これは狐狸の仕業だと言われている。(『丹波の伝承』)

街路樹が娘の姿に見えるという、いわゆる“木娘”は京都市でも目撃されており、当時の雑誌や新聞にもその名前が見られます。
以下は京都市の木娘目撃談です。

昭和二十四年(1949)八月、上京区の大応寺境内の大木に、島田髷、前髪、矢の字の帯を結んだ娘が浮かび出たという。
これは継母にいじめられて自殺した娘の怨霊が木に取り憑いて木娘となり、自分の家を樹上から睨みつけているのだと言われた。(『京の怪談』)

昭和二十五年(1950)六月には、中京区上ノ下立売通の建具屋の庭にあるケヤキの大木が桃割の娘、または高島田髷の娘の後ろ姿に見えると話題になった。
昔この付近は墓地だったからだとか、以前建具屋に住んでいた娘が死後に法事が行われなかったことを怨んで現れたなどと言われている。(『京の怪談』『京都新聞』)

同年七月、左京区田中西河原町の千菜寺(光福寺)墓地にあるムクの大木が日本髪の娘に見えたという。
木娘の噂を聞きつけた見物人が夜な夜な集まり、自警団が警備に出る程の騒ぎになったという。(『京の怪談』)

この他、下京区河原町四条畷には、女の形に見えるイチョウ、枝に釣瓶がかかり人の首が上下するイチョウ、平将門の首が晒されて光って飛んだイチョウなどがあり、とにかくイチョウは恐れられていたという。(『上方 68号』)

『丹波の伝承』「小娘木」
『保津百景道しるべ』「小娘の木跡」
『京の怪談』「木娘現わる」
『京都新聞』昭和二十五年六月十五日夕刊「あれが木娘や」
『上方』68号「洛南随筆(二)」より


*文中の丸髷、島田髷、桃割、高島田髷、日本髪とは当時の女性の髪型のこと。

木娘は近隣では大阪府や福井県でも目撃されたらしく、大阪では高津入堀のイチョウが後ろ向きの島田娘に見えた、阿波堀のエノキが馬に乗る兵隊に見えたとあります。(『上方 31号』)
また「遊女イチョウ」「坊主イチョウ」「乳呑イチョウ」「大師イチョウ」など、人の形に見えるイチョウが多く存在していたそうです。(『おおさか図像学』)
福井では高浜町の西恩寺墓地に女の頭に見えるというイチョウがあり“お化けイチョウ”と呼ばれていたと伝えられています。(『若狭高浜むかしばなし』)


伝承地:亀岡市保津町西垣内・大堰川堤防 他

便所の手

便所の手 (べんじょのて)


昭和四十年頃、嵯峨野小学校の旧校舎裏の古い便所に、青い手が出ると言われていた。
「紙をくれ!」と言って、便所の穴から手が伸びてくるという。
また、この青い手は夕方、校庭を飛び廻っていたという。

『ふるさとの伝説 4 鬼・妖怪』「便所の手」より


伝承地:京都市右京区嵯峨野・嵯峨野小学校


ガワタロウ

ガワタロウ


山國神社の裏を流れる大堰川に「馬渕」と呼ばれる大きな渕がある。
昔のある日の夕方、近所の百姓が馬渕で馬を洗っていた。
すると突然馬が暴れ出し、あっという間に深い渕へ引きずり込まれた。
止めることも引き揚げることも出来ず、遂に馬は渕の中へ沈んでしまった。
悲鳴を聞いた村人たちが駆け付けた時には馬も百姓の姿も見えず、馬渕は何事もなかったかのように静まりかえっていた。
それ以来、この渕には馬を喰う河童の“ガワタロウ(川太郎)”が棲むと噂され、子供たちは馬渕で泳ぐことを禁止されたという。

『続 京北の昔がたり』「ガワタロウの住む淵」より


山國神社裏の大堰川
山國神社の裏を流れる大堰川。
下流の方では家族連れが水遊びに興じていました。
もうガワタロウはいないのかな。


伝承地:京都市右京区京北・山國神社の裏手




*2025/7/11 現地写真追加

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