丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

丹波篠山市

時平屋敷のつむじ風

時平屋敷のつむじ風 (ときひらやしきのつむじかぜ)


丹波国日置庄は藤原時平の領地で、そこに「時平屋敷」と呼ばれる屋敷があった。
そこは時平の居住地跡と言われており、天神(菅原道真)の画像を携えて行くと、つむじ風が起こり、空に吹き上げてどこかへ飛ばしてしまうと伝えられている。

『広益俗説弁 残編』巻四十三「丹波国時平屋敷の説」より


藤原時平は平安時代の公卿で、対立関係にあった菅原道真を九州の太宰府に左遷したとされる人物です。
そして時平は延喜九年(909)に三十九歳で亡くなりますが、これは延喜三年(903)に太宰府で死亡した道真の祟りによるものだと言われています。
時平は自分を祟り殺した憎き道真を所領に入れたくないがために、天神様の絵姿を片っ端から吹き飛ばしているのでしょうか。
ちなみに時平の死因として、「天台宗の僧・浄蔵が時平の病気平癒の祈祷をしている時に道真の怨霊が現れ、病床の時平の両耳から青龍を出して祈祷の中止を告げた。それに従い浄蔵が部屋を退出すると、間もなく時平は死亡した」というエピソードがあります。(『扶桑略記』二十三巻)


伝承地:丹波篠山市黒岡


蛙の宮の石

蛙の宮の石 (かえるのみやのいし)


今田町上小野原の住吉神社(蛙の宮)の境内に大きな石が三つある。
同じく、6km程南にある酒滴神社(三田市藍本)にも数個の大石が転がっている。
これは昔、住吉神社と酒滴神社の神が領地を巡って喧嘩をした時、双方から投げ合った石だと伝えられている。
そのため、小野原の人と藍本の人は縁組みをしなかったという。
これを無視して縁組みをすると、片方が死んだり、貧乏になったり、火事に遭ったりと不吉なことが多いと言って忌み嫌われていた。
また、住吉神社の神前には、一本の木から七色の葉が出る「七色木」が生えているという。

『今田町史』「蛙の宮の石」
『多紀郷土史考 下巻』「今田村」より


住吉神社(蛙の宮)
今田町の住吉神社。
丘の上にある神社で、毎年十月に篠山の三大奇祭の一つ「蛙踊り」が行われます。
蛙踊りは八人の踊り手の内三人が締太鼓を叩き、残り五人が太鼓の音に合わせて簓を鳴らし、「ヘイッヘイッヘイッ カエロカエロ」と言いながら三角形に飛び跳ねるという神事です。
住吉神社はこの蛙踊りと、社殿のある丘が大蝦蟇に似ていることから「蛙の宮」と呼ばれるようになったそうです。(『神社案内板』)

神社裏手にあった謎の石群
境内をぐるりと回ってみましたが、残念ながら神様が投げたとされる大石も七色木らしき木も見当たらず。
神社裏手の脇道に大小様々な石がまとめて置いてありましたが……これが件の大石だったり?

酒垂神社本殿
三田市藍本の酒滴神社。(本殿)
素戔嗚命のお告げを受けた村人が裏山の洞窟から霊酒を発見したという伝説があります。
こちらもそれらしい石は見当たりませんでした。
本殿のすぐ裏は山になっているので、石はそこにあるのかもしれません。


伝承地:丹波篠山市今田町上小野原・三田市藍本


大歳神社の化け物

大歳神社の化け物 (おおとしじんじゃのばけもの)


大化の頃(645~650)、本郷村の大歳神社の氏子から一年に何人もの死者が出ていた。
村人たちは神の禍であると考え、人身御供を捧げることにした。
そしてある家が人身御供に選ばれ、家人は嘆き悲しんだが逃れることは出来ず、一心に神に祈り、断食して神前に体を投げ出して籠っていた。
すると三十七日目の明け方、光と共に一人の童子が現れ「江州犬上郡の多賀明神(滋賀県犬上郡多賀町の多賀神社)は伊弉諾命を祀っている。かつてここにも人身御供の災難があったが、鎮兵六という犬が化け物を倒したことで禍を逃れた」と告げた。
そこで村人たちは犬上郡へ行って鎮兵六を借り受けると、犬を箱に入れて神前に供え、武器を手に隠れて待ち構えた。
やがて天地を揺るがす轟音と共に大きな化け物が現れ、拝殿に躍り上がり供えられた箱を開けようとした。
その瞬間、箱の中から鎮兵六が飛び出し、化け物に襲いかかった。
両者は取っ組み合いになり、やがて化け物は足を踏み外して縁側から下に転げ落ちた。
そこへ村人たちが一斉に打ちかかり、遂に化け物を退治することが出来た。
その後、鎮兵六は村で大切に飼われていたが、白鳳元年(661)正月四日に死亡したため、形見として爪を一枚いただき、亡骸は故郷へ送り返したという。
そして大宝元年(701)、本郷村は村名を改め、犬飼村と称するようになった。

『犬飼村の伝承と遺跡』「丹州多紀郡当村大歳大明神畧縁(前川家文書)」より


犬が生贄を取る化け物を倒す伝説は各地にあり、古くは『今昔物語集』(美作国の二匹の犬が猿軍団を退治する話)にも見られます。
長野県駒ケ根市・光前寺に伝わる霊犬早太郎伝説もこのタイプですね。
また『郷土の民話(丹有編)』にも同じ話がありますが、こちらでは化け物の正体は「三つ眼の大狸」とされており、化け物感がアップしています。
『日本伝説集』では、人身御供に選ばれた家の娘の飼い犬が娘を守るために化け物(古狢)と刺し違えるという話になっており、篠山の郷土本『爺のはなし』では、化け物は二匹に増え、借り受ける犬も「土佐国の当千大夫」に変わっているなど、書籍によって細かな違いが見られます。

大歳神社
犬飼の大歳神社。
化け物退治に使った太刀や薙刀、切り取った化け物の片足、鎮兵六の爪が保管されているそうです。見てみたい……。
ちなみに大歳神社では、毎年十二月の申の日と戌の日にお祭りが行われ、戌の日の祭には餅がまかれますが、この餅を食べるとお産が軽くなるという俗信があります。
また正月四日には鎮兵六を弔うため、地区の当番の人が樒の花を供える習わしもあるそうです。
昔は人身御供の伝説に倣い、生きたイナ(ボラ)を二匹、イナダ姫と名づけて神前に供えていました。
名前は八岐大蛇の生贄にされかけた稲田媛(櫛名田比売)にちなんでいるのでしょうか。


伝承地:丹波篠山市犬飼・大歳神社


九頭の大蛇

九頭の大蛇 (くずのだいじゃ)


藤岡の東窟寺は法道仙人開基の寺と伝えられている。
この寺の裏山を登った所に洞窟があるが、昔そこに九頭の大蛇が棲んでいた。
大蛇は毎年人身御供を取っており、ある年、庄屋の娘がその役に当たった。
両親は嘆き、娘の身代わりを捜して諸国を巡ったところ、阿波国(徳島県)のある少女が身代金を貰うという条件でその求めに応じた。
そして少女は受け取った身代金を母に渡して家の急難を救った後、丹波国へ来て人身御供になろうとした。
それを知った法道仙人は健気な少女を救うため、大蛇仏の修法を行い大蛇を成仏させたという。

『多紀郷土史考 上巻』「東窟寺」より


『丹波のむかしばなし 第一集』では、九つの頭を持つ大蛇ではなく頭一つだけしかない普通の大蛇となっています。(それ以外は本文とほぼ同じ内容)
また『多紀郷土史考 下巻』では、九頭の大蛇は当時この辺りにはびこっていた葛族(九頭=葛)という悪い奴らのことで、それを法道仙人が教化したのではないかと考察されています。


伝承地:丹波篠山市藤岡奥


鏡峠の送り狼

鏡峠の送り狼 (かがみとうげのおくりおおかみ)


昔、ある人が鏡峠を越えて多紀郡(丹波篠山市)へ法事に行き、ご馳走を入れた重箱を背負って帰り道を歩いていた。
やがて日も暮れたので、提灯を点けて急ぎ足で鏡峠を下りかけたが、後ろからピタピタ、ピタピタ、と誰かがついて来るような足音がした。
怖くて振り返ることも出来ず、我慢して歩いていると、急に背中の荷物が軽くなった気がしたが、すぐにまた重くなった。
そして家に帰り着き、背負っていた重箱を開けてみると、中には石が沢山入っていたという。
昔の人は「送り狼に送られたんだ」と言っていた。

『大路にまつわる言い伝え・昔話』「狐や狸に化かされた話(その一)」より


送り狼(送り犬)といえば、後ろからついて来て転んだ人を喰い殺すという妖怪ですが、鏡峠の送り狼は人ではなく食べ物を狙ってつけて来るようです。
狐狸の類が荷物を盗む時のやり口に似ていますね。

その他の送り狼


伝承地:丹波篠山市小坂、丹波市春日町中山(現在鏡峠は廃道)


板仏

板仏 (いたぼとけ)


小野原の公民館に“板仏”という、厚さ一寸(約3cm)程の地蔵に似た板状の石仏が祀られている。
旱魃の時にこの板仏を川に投げ込むと、すぐに雨が降ると伝えられている。
大人が無礼に扱うと祟りがあるが、子供ならば踏もうが蹴ろうが、どんな風に扱っても決して祟られないという。

『多紀郷土史考 下巻』「今田村」より


川に沈められても自力で元の場所に戻る地蔵。


伝承地:丹波篠山市今田町下小野原(板仏は現存していない?)


  • ライブドアブログ