丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

七不思議

篠山の怪談七不思議

篠山の怪談七不思議 (ささやまのかいだんななふしぎ)


丹波篠山市の篠山城周辺(主に東側)には、七つの妖怪談が伝えられています。

①観音橋の夜泣榎
観音橋のそばに十二尺(約3.6m)程の古い榎があった。
夜にこの木の下を通ると、さも悲しげな声を出して泣くという。
特に雨の夜は泣き声が物凄かったが、切られて今は残っていない。

②土手裏のおちょぼ
観音寺前の小路を南に入って東へ向かい、京口橋までの間にある藪中の裏道を「土手裏」と言う。
夜にこの道を通ると、兀僧(がっそう)頭のおちょぼ(可愛らしい少女)に出会う。
このおちょぼに声をかけ、振り向いたその顔を見ると、目も鼻もないヅンベラボウ(のっぺらぼう)の顔が夜目にもはっきり見えるという。

③川ン丁の鼻黒
梅の小路の橋から川に沿って小川町までの「川ン丁」という所に出る怪物で、鼻の頭が黒い奴だという。
王地山の開帳の時は「砂持ちせん者鼻黒じゃ」とさかんに言われた。

④坪井屋敷のツルベ落し
坪井という旧士族の屋敷に榧の大木があり、夜に木の下を通ると生首が落ちてくるという。
だがこれは、髢(かもじ…ヘアエクステのようなもの)をつけた徳利を樹上に吊っておき、人が通れば縄を弛めて落とすという悪戯だった。
人為的なものだとわかるまでは「ツルベ落し」と呼ばれ、怪談の一つになっていた。

⑤田代の前
東の馬出の堀沿いにある田代家は、北向きの家なので前の道路が悪かったという。
「思うても田代の前は通るなよ昼はいてどけ夜は化物」という言葉が残されている。

⑥一本松の見越の入道
篠山鳳鳴高校の横に一本松が生えていた。
雨の夜に傘をさしてここを通ると、突然傘が重くなる。
見上げると、後ろから傘を越して大入道がゲラゲラと笑うという。

⑦番所橋の酒買い小僧
秋の終わり頃の雨がそぼ降る夜、妙福寺の東の小川に架かる番所橋を、三尺(約90cm)足らずの小僧が裸足で徳利を下げて通るという。
これに出遭うと体の中がゾクゾクして恐ろしくなり、小僧を見ると、顔の真ん中に丸い一つ目がピカピカと光っているという。

『多紀郷土史考 下巻』「篠山の怪談七不思議」より


③は名前だけで、どういう妖怪なのかよくわからないそうです。
ちなみに「砂持ちせん者鼻黒じゃ」という囃し言葉については『大阪伝承地誌集成』にその由来が書かれています。

寛政元年(1789)、大阪の玉造稲荷神社で砂持(川浚いで出た土砂を使い神社の土地を均す作業)という労働奉仕があった。
だが傘屋の息子は商売以外に関心がなく、砂持も不参加を決め込んだ。
近所の人々が熱心に誘うも全く応じず、腹を立てたある若者が墨を塗りつけた手を傘屋の息子の顔にベッタリとなすりつけた。
人々は鼻を墨で真っ黒にされた傘屋の息子を見て大笑いし、そこから「砂持ちせん者鼻黒じゃ」という囃し言葉が流行った……とのこと。


伝承地:丹波篠山市・篠山城周辺


志賀の七不思議


志賀の七不思議 (しがのななふしぎ)


志賀郷地区には“志賀の七不思議”という、花や木にまつわる伝承が残されている。
用明天皇の時代(585年頃?)、丹後に棲む鬼を退治した金丸親王(麻呂子親王)は志賀郷の五つの神社(藤波・金宮・向田・若宮・諏訪)を厚く崇敬し、その子孫の金里宰相が千日詣を行い、成就を祝って藤・茗荷・竹・萩・柿を各神社に手植えした。
それ以来、五社と向田にある二本の松に、様々な奇瑞や霊験があらわれるようになったという。

①藤波大明神の藤の花
藤波神社では、毎年旧暦一月一日に藤の花が咲くという。
かつて神社では正月に咲いた藤の花を箱に入れ、宮廷に献上する行事があった。
正安元年(1299)のこと、例年通り飛脚に藤の花が入った箱を持たせ上京させた。
だが途中の船井郡園部水戸の峠(観音峠)で、飛脚は箱を開けてしまった。
すると藤の花はたちまち一羽の白鷺に変化し、峠の麓へ飛び去った。
これにより藤の花を献上することが出来なくなったので、後伏見天皇は激怒し、位を後二条天皇に譲ったという。
それ以来、この行事は廃れ、正月に藤の花が咲くこともなくなったという。

②阿須須伎神社の茗荷
阿須須伎神社(金宮神社)では、毎年旧暦一月三日の日の出から午前八時までに、神前の御手洗いの茗荷が三本生え揃うという。
一番目に生えた茗荷は金輪聖王に捧げ、二番の茗荷は宮廷に献上し、三番の茗荷は村人たちの一年の吉凶を占うために使われた。
茗荷の生える遅速により、早稲・中稲・晩稲を見定め、その年の田畑の出来栄えや旱魃、水害などを占うという。
茗荷を宮廷に献上する風習は廃れているが、占いの神事は現在も二月三日に行われている。

③篠田神社の筍
篠田神社(向田神社)では、毎年旧暦一月四日の日の出から午前八時までに、境内の竹から筍が三本生えるという。
阿須須伎神社と同じく、生えた三本の筍でその年の耕作や風水害などを占うという。

現在は二月四日に占いの神事が行われている。

④若宮神社の萩の花
若宮神社では、毎年旧暦一月五日の日中に萩の花が咲くという。
花の多寡でその年の吉凶を占い、おびただしく咲いた年は吉、花が少ない年は凶と伝えられている。
かつてはその時に咲いた萩の花を神前に納めていたが、現在その風習は廃れている。

⑤諏訪神社の柿
諏訪神社では、毎年旧暦一月六日の午前十時になると、境内の柿の木に実が三つ成るという。
更にそれらの柿は日中になるにつれ色艶が良くなっていくという(七色に輝くとも)。
柿は「御所柿」「五色の柿」などと呼ばれ、昔は毎年宮廷に献上されていた。
正和元年(1312)のこと、例年通り柿を献上するため、箱詰めにして飛脚が京へ運んでいた。
だがその途中、飛脚は喉の渇きを覚え、船井郡須知(現・京丹波町)の民家で茶を飲んだ。
すると突然腹痛に襲われ、同時に柿の入った箱が北の空へ飛び去った。
これは、本来ならば精進潔斎して「火の食い合わせ(火を通さず飲食する戒律。「火の物断ち」のこと?)」をせず都へ入らなければならないのに、途中で火で温めた茶を飲んだため、柿の霊験が失われたからだという。
それ以来、正月に柿の実は成らなくなったという。

⑥向田のしずく松
向田にあった古松は、毎年旧暦一月六日の午前十時になると、梢から雨のように雫を降らせたという。
この時の雫の多寡によって旱魃や水害を占い、耕作の指南をしたという。
だが天正年間、明智光秀が福知山城の建材にするため、この松を伐ろうとした。
ところが何度伐り倒しても、夜になると伐った木材が寄り集まり、朝には元の松に再生して伐ることが出来なかった。
怒った光秀は松を一片ずつ伐っては燃やしていき、最終的に幹だけを残して全て焼き捨ててしまったという。

⑦向田のゆるぎ松
向田の「しずく松」の対面に「ゆるぎ松」という古松があった。
毎年旧暦一月七日の日の出から日中の間に、この松の上の葉が揺れれば都に吉事が、下の葉が揺れれば凶事が起こると言われていた。
松は志賀郷に吉凶がある時も揺れたが、普通の人には揺れを知ることが出来なかったという。
だがゆるぎ松もしずく松と同様に、明智光秀によって伐り倒されたと伝えられている。

『丹波志 何鹿郡之部』「七不思議」
『何鹿の伝承』「志賀の七不思議」
『綾部の民話・伝説』「白サギになった藤」より



今回は綾部市の志賀郷地区に古くから伝わる“志賀の七不思議”をまとめて紹介しました。
正月二日にも伝承があり、『綾部市史 上巻』には、⑤の柿は六日ではなく二日に実が成るという話や、二日には別所町の御用柳坪という所にある柳に七色柳の花が咲く、という話が載せられています。
また『塩見藤左ヱ門文書』では⑤の「柿」が「絵馬」に、『あやべ昔話抄』では「柿」が「七色柳」に変わっていたりと、細かな違いが見られます。
『口丹波口碑集』には、③の筍の一番長く伸びたものを桐の箱に収めますが、その時、何故か前年に入れたはずの筍が消えている、という不思議な話も載せられています。
他にも、別所町には宮廷に献上する「御用柿」が成る柿の木がありましたが、旅人が食べたせいで成らなくなった、という話も伝えられています。(『丹波志 何鹿郡之部』)
ちなみに①と⑥は過去に個別で記事にしていますが、今回は“志賀の七不思議”ということで一緒くたに紹介させてもらいました。


伝承地:綾部市西方町(藤波神社)、金河内町(阿須須伎神社)、志賀郷町(若宮神社・諏訪神社)、篠田町(篠田神社)、向田町



2022/1/4 一部加筆修正

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