丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

器物

鳴く蝉錠

鳴く蝉錠 (なくせみじょう)


今田の八幡宮社に左甚五郎の作とされる蝉錠(蝉型の錠前)がある。
この蝉錠は季節外れに鳴き声を上げるので、人々は不思議がり稀代の宝として珍重していた。

慶長五年(1600)九月、福知山城主・小野木重勝は細川幽斎を討つべく丹後田辺城へ向けて出陣し、その途中で鍛冶屋村を攻撃した。
ただ一人生き残った女は八幡宮社の社に隠れたが、追っ手に扉の外から刀を五度(七、八度とも)突き通され殺された。
その時、偶然刀が蝉錠に刺さり、それ以来、蝉錠は鳴き声を上げなくなったという。

『豊郷村誌』「八幡宮社」
『あなたの話が聞きたい』「今田八幡宮」より



八幡宮社
八幡宮社は今田町と小西町の境に鎮座しています。
『豊郷村誌』には「社の扉に刺突した時の刀痕が残っている」とありますが、社殿は何度か改修されているため、もうその痕跡は残っていません。
改修の時に撤去されたのか、蝉錠も現存していないようです。


伝承地:綾部市今田町・八幡宮社


龍の彫物

龍の彫物 (りゅうのほりもの)


昔、ある村の神社の本殿を再建することになり、神前に掲げる龍の彫物を彫刻師に依頼した。
完成した龍の彫物はあまり良い出来ではなかったが、村人たちはへつらって「立派な彫物だ」と褒めそやし、彫刻師も得意顔だった。
その時、みすぼらしい身なりの旅人が通りかかり、龍の彫物を見て「フフン」と含み笑いをした。
彫刻師が「私の作品の何がおかしい。彫れるものならお前が彫ってみろ」と怒ると、旅人は「あ、そうかそうか」と言い、荷物袋からノミを取り出して彫物に手を加えた。
するとでくのぼうのようだった龍は、今にも動き出しそうな程立派なものに生まれ変わった。
そして彫物が神前に上げられる日の朝、彫刻師が大工小屋に行くと、龍の彫物はべっとりと濡れ、川べりの雑草が貼りついていた。
村人たちは「龍が水を飲みに行ったんだ」と大騒ぎし、彫物を社前に釘で打ちつけて動けないようにした。
龍の彫物を手直しした旅人は、諸国を旅し、周枳の大宮賣神社に参拝する途中の左甚五郎だったという。

『周枳郷土誌』「龍の彫物」より


この甚五郎性格悪い。

その他の龍の彫刻が抜け出る話。


伝承地:京丹後市大宮町周枳


水呑み龍

水呑み龍 (みずのみりゅう)


二箇の荒神の拝殿には左甚五郎が彫ったという龍の彫物がある。
昔、この彫物が夜な夜な久次川へ水を飲みに出て、その度に田圃が荒らされていた。
そこで村人たちは龍の彫物に釘を打って動けなくした。
するとそれ以来、龍の彫物が水を飲みに出ることはなくなったという。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「龍は水呑み」より


その他の龍の彫刻が抜け出る話。


伝承地:京丹後市峰山町二箇(二箇の荒神は同地区の八幡神社境内にある三柱神社のこと?)

祟る槍

祟る槍 (たたるやり)


山河の観音堂のそばに、麻呂子親王の鬼退治にお供した勢籏家という家があった。
勢籏家には名槍と刀剣があり、この槍が「祟る」と言われた。
そこで元伊勢神社の神主が槍を借り受け、親王の墓碑を祀るため先祖講(斎講)を開いたという。

『加悦町誌』「麻呂子親王と勢籏家」より


麻呂子親王とは、三上ヶ嶽に巣食う鬼(英胡・軽足・土熊)を退治したとされる人物で、丹波・丹後地域には親王にまつわる伝説が多く残されています。


伝承地:与謝野町与謝


梨の杖

梨の杖 (なしのつえ)


昔、丹波にある長者が住んでいた。
長者の嫁は京都から嫁いできていたが、何らかの理由で離縁され、梨の木の杖を突きつつ故郷へ帰った。
その途中、嫁は老ノ坂から丹波を眺め、泣きながら「私の怨みから丹波には長者を二代続かせない」と言って杖を道端に突き立てた。
やがてその杖は根を張って大木になり「丹波に長者二代なし」と言われるようになった。

『口丹波口碑集』「梨の杖」より


『丹波志桑田記』では、佐伯秋高という長者の娘の桜姫が「丹波に長者二代無し、花は咲けども実は登(のる)な」と言って梨の木を植えた、とあります(桜姫が梨の木を植えた理由は不明)。


伝承地:亀岡市篠町王子-京都市西京区大枝沓掛町・老ノ坂峠


水呑み竜

水呑み竜 (みずのみりゅう)


ある年の夏、養老村では毎夜田圃の水路の水が涸れるという異変が起こっていた。
そんな中、ある村人が夜に白山神社の方からザワザワと音を立て、茶碗のような目を光らせながら水路へ降りて行く大蛇を目撃した。
それからしばらく経った後、山伏姿の男が村を訪れ、水路の異変を解決しようと提案した。
翌朝、村人たちが田圃へ行くと、涸れているはずの水路から満々と水が流れ出ていた。
村人たちが白山神社に行ってみると、本殿に設えてある木彫りの竜の鼻の穴に火箸大の金の棒が通されていた。
それからは水路の水が涸れることもなくなり、村は豊作が続いたという。
だがそれ以来、山伏姿の男を見た者はいなかったという。

『宮津の民話 -ふるさとのむかしばなし- 第一集』「水呑み竜」より


村人が見た大蛇は、夜毎水路の水を飲みに抜け出していた木彫りの竜だったんですね。
それにしても山伏は何者だったんだ……。

作りかけの龍の彫刻がコトコト動く話はこちら。
吠える龍の彫刻(南丹市)


伝承地:宮津市大島


  • ライブドアブログ