丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

地蔵

板仏

板仏 (いたぼとけ)


小野原の公民館に“板仏”という、厚さ一寸(約3cm)程の地蔵に似た板状の石仏が祀られている。
旱魃の時にこの板仏を川に投げ込むと、すぐに雨が降ると伝えられている。
大人が無礼に扱うと祟りがあるが、子供ならば踏もうが蹴ろうが、どんな風に扱っても決して祟られないという。

『多紀郷土史考 下巻』「今田村」より


川に沈められても自力で元の場所に戻る地蔵。


伝承地:丹波篠山市今田町下小野原(板仏は現存していない?)


一本松地蔵

一本松地蔵 (いっぽんまつじぞう)


慶長六年(1601)、大雨による氾濫を防ぐため、伊佐津川の瀬替え(堤防工事)が行われた。
工事奉行の山口長左エ門には美しい娘がいて、彼女は毎日昼前になると父に弁当を届けに現場へ来ていた。
美しい娘は人夫の評判となり、彼女が現場に来る度に作業の手が止まるため、工事がはかどらなくなった。
その上、工事の途中で洪水が起こり、完成間近の堤防が流されるという不幸に見舞われた。
藩の役人は現場に来る娘の祟りではないかと考え、ある夜、娘を騙して工事現場の河原に誘い出し、斬り殺して死体を川に流した。
それからは娘が現場に来ることもなくなり、人夫たちは仕事に精を出すようになった。
長左エ門も悲しみに耐えながら仕事を続け、まもなく堤防は完成した。
だがその後、夜になると悲しそうな姿の娘の亡霊が河原に現れるようになった。
そこで村人たちは堤防のそばに松を植え、地蔵を建立して娘の霊を慰めたという。

『舞鶴の民話 第一集』「一本松地蔵」
『現地案内板』より



一本松地蔵
一本松地蔵。
伊佐津川の遊歩道に祀られています。
様々な願いを叶えてくれるお地蔵様で、特に赤子の夜泣きに霊験があるため「泣き地蔵」とも呼ばれているそうです。
賽銭泥棒が多いのか、不穏な注意書きがそこかしこに……。


地蔵のそばの若い松
一本松は遠くからでも眺められる程の大木だったそうですが、枯れてしまったのかそれらしい松は見当たりませんでした。
写真は地蔵のそばにあった若い松の木。二代目一本松?


伝承地:舞鶴市七日市


慶徳院の六地蔵

慶徳院の六地蔵 (けいとくいんのろくじぞう)


昔、京都の天龍寺で火事が起こった時、本堂の屋根の上から水をかけて消火する六人の坊主が目撃された。
その坊主たちは「慶徳院」という文字の入った提灯を下げていた。
後日、天龍寺の使者が慶徳院を訪れ、消火の礼を述べた。
だが慶徳院に坊主は六人もおらず、一同は不審に思いながら外へ出ると、六地蔵の前にボロボロの提灯が転がっていた。
見ると六体の地蔵は皆灰に塗れ、周囲は水に濡れていたという。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「慶徳院地藏尊」より


伝承地:京丹後市峰山町五箇・慶徳院


願成寺の地蔵

願成寺の地蔵 (がんじょうじのじぞう)


大井村の願成寺境内に地蔵が祀られている。
昔、土田村の人が酒に酔った勢いでこの地蔵に腰かけたところ、二つに割れた。
するとその人の体に、地蔵の割れ目と同じ輪の跡がついたという。

『口丹波口碑集』「地蔵の話」より


その後地蔵はセメントで接合されたそうです。


伝承地:亀岡市大井町並河・願成寺


子安地蔵

子安地蔵 (こやすじぞう)


小脇の子安地蔵は昔、斎宮神社(丹後町宮)に祀られていた。
だがある時、怒った龍神によって暴風雨が起こされ、神社が危なくなった。
子安地蔵は他の神と共に依遅ヶ尾山の尾根伝いに逃げ、小脇の地に辿り着いた。
嵐が静まった後、他の神は再び斎宮神社へ戻ったが、子安地蔵は小脇を安住の地と定めて残ったという。
それ以来、子安地蔵は小脇村の守り本尊として祀られるようになった。

ある年の冬、家が埋まる程の大雪が小脇村を襲った。
その夜のこと、子安地蔵を祀るお堂から赤子の泣き声が聞こえてきた。
村人たちは不思議に思いながらその声を聞いていると、やがて獣が唸るような音と共に大雪崩が起こり、村は押し潰された。
生き残った村人たちはお堂に集まったが、その時、雪の上に赤子の足跡が沢山ついているのを見つけた。
村人たちは子安地蔵が泣き声で雪崩を知らせてくれたのだと感謝し、地蔵を谷向かいの移住先に運んで祀り直したという。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「子安地蔵」より


小脇村は昭和三十八年(1963)の豪雪をきっかけに廃村になり、子安地蔵は丹後町平の常徳寺に移祀されたそうです。


伝承地:京丹後市丹後町小脇


穴地蔵

穴地蔵 (あなじぞう)


昔、浅茂川の曲がり角で舟が止まって動かなくなることがあった。
川底に沈んでいる地蔵が原因だとわかったが、引き上げた人たちは「どこかに隠せばいい」と考え、地蔵を吉津村と畑村の間に埋めてしまった。
すると吉津村と畑村で、老人が謎の病気にかかる、子供が神隠しに遭う、火事が起こるなどの怪事が続くようになった。
そこで寺に拝んでもらったところ、両村の間に地蔵が埋められていることがわかった。
早速地蔵を掘り出して祀ると、それから怪事は起こらなくなったという。

『丹後の民話 第一集 いかがのはなし』「吉津のお地蔵さん(穴地蔵さん)」より


この地蔵は“穴地蔵”と呼ばれ、吉津村では毎年四月十三日に祭りが行われていたそうです。


伝承地:京丹後市弥栄町等楽寺(吉津村・畑村共に廃村)


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