丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

奇人

延福寺の和尚

延福寺の和尚 (えんぷくじのおしょう)


平安時代、嵯峨天皇は重病を患った。
その時、侍臣の夢に「七峰七谷のある寺の和尚が祈願するしか方法はない」というお告げがあった。
そこで侍臣は全国を巡り、やがて丹波国の延福寺に辿り着いた。
だが寺の和尚はみすぼらしい風体で、期待した程の人品とは思えなかった。
侍臣は真偽の判断に迷いながら、和尚と共に京を目指した。
その途中、和尚は数珠を忘れたことに気づき、急いで寺の上り口まで戻って手を叩いた。
すると火鉢のそばから数珠がコロコロと転がり出て、和尚の膝の上に乗った。
これを見た侍臣は恐れ入り、急いで参内させたところ、まもなく天皇の病は治ったという。

『口丹波口碑集』「延福寺の和尚」より


伝承地:亀岡市本梅町西加舎的場・延福寺


頭の固い侍

頭の固い侍 (あたまのかたいさむらい)


丹後宮津藩に頭の固い侍がいた。
この侍はいつも八寸釘を頭で柱に打ち込んでいた。
天草の陣(島原の乱?)では頭に銃弾を受けたが、弾は通らなかったという。
この侍が越前(福井県)に使者として遣わされた時、藩主の松平忠直は「お前の頭は今でも固いのか、一太刀当てさせてくれ」と言った。
だが侍は「年を取ったので、もう刀を受けられる自信がありません」と言って断った。
その後、宮津に戻った侍は、主君の京極高広に、
「刀では私の頭は斬れませんが、一伯様(松平忠直)は頭が斬れないとなると、次は必ず腹を突いてくるだろうと思い、お断りした」と報告したという。

『拾椎雑話 巻十七』「人物」より


刃も銃弾も効かない石頭を持つ超人侍の話です。
頭全体がまんべんなく固かったのか、それとも額などの一部だけが固かったのか。
ちなみに松平忠直は乱行の多い暴君だった(という伝説がある)ので、そのことから侍は「頭がダメとわかるとためらいなく腹を刺してきそうなヤバイ人」だと判断し、適当な理由をつけて断ったのでしょう。
侍も日常的に釘を頭で柱に打ち込むようなヤバイ人ですけど……。
余談になりますが、松平忠直の在位(1607-1623)と京極高広の在位(1622-1654)は一年ちょっとしか被っていないので(忠直は1623年2月に豊後へ配流)、本文のエピソードは元和八年(1622)か九年(1623)初めの頃の話と考えられます。


伝承地:宮津市


三台坊

三台坊 (さんたいぼう)


昔、保津村の文覚寺に、人の心を見抜く力を持つ“三台坊”という坊主がいた。

ある時、村人が心の中では惜しいと思いつつ、銭や大根を寺へ寄進した。
すると三台坊は「惜しいと思いながら持ってきた物などいらない。その証拠に大根を切れば中から血が出るだろう」と言った。
村人が大根を切ってみると、中から血が出てきたという。
またある時、小僧が三台坊の汚れた衣服を見て「いい加減汚いから着替えましょう」と勧めると「一週間後に衣を持って来る人がいるからそれまで我慢する」と答えた。
一週間後、寺に衣を寄進する者が現れたという。

その頃、丹波亀山城では、天守閣にある笛が鳴り響いて止まらなくなるという異変が起こっていた。
保津村の坊主が五十人程集まって祈祷するも効果はなく、最後に三台坊が呼び出された。
三台坊は城へ来ると、天守閣の一番高い所へ登り、四股を三つ踏んだ。すると笛の音はピタリと鳴り止んだ。
喜んだ殿様は三台坊に褒美として請田山を与えたという。

そんなある日、三台坊は突然姿を消した。
村人たちは方々を捜し回ったが見つからず、最後に請田神杜を訪れると、鳥居のそばに三台坊の履き物が脱ぎ捨ててあった。
三台坊はいつも口癖のように「私は天へ昇る」と言っていたので、ここから昇天したのだろうと考え、履き物を鳥居の下に埋めて石碑を建立したという。
また一説には、三台坊は「私はもうじき死ぬから付き添ってくれ」と、八人余りの坊主に寝ずの番を頼んだが、いつの間にか姿を消し、請田神社の鳥居のそばに履き物を脱ぎ捨てて昇天していたという。

『丹波の伝承』「文覚寺の三台坊」
『口丹波口碑集』「三締坊(保津村)」
『保津百景道しるべ』「三諦坊物語」より


三台坊(三締坊、三諦坊とも)は現在の京都市西京区出身の僧で、実在の人物だったと伝えられています。
三台坊の逸話は上記以外にも多数残されていますが、その幾つかを以下に紹介します。

●三台坊が閑谷の山を歩いている時、頂上から大岩が転がり落ちてきたが、扇を開いて岩を受け止めた。
●村の若者が「流石の三台坊でも剃刀で切ったら痛がるだろうか」と話した後に寺へ行くと、三台坊は「私でも切られれば痛い」と答えた。
●村人が餅を寺へ持って行こうとしたところ、妻が「九つも持って行くな。七つでいい」と文句を言った。無視して重箱に餅を九つ入れて寺へ行くと、三台坊は重箱の包みを解く前に「二つ減らして七つにしなさい」と言った。
●亀山城の異変を解決した時、殿様に何でも願いを叶えてやると言われ、三台坊は「藁一束分の土地が欲しい」と請うた。殿様が許可すると、三台坊は幾つもの藁を繋ぎ合わせて長い長い縄を作り、請田山を囲い込んだ。こうして三台坊は請田山全てを手に入れた。
……などなど。

ちなみに『口丹波口碑集』『保津百景道しるべ』では、亀山城の異変は「笛が鳴り止まなくなる」ではなく、「城が少しずつ傾いて唸り声を上げる」という別の怪異になっています。


伝承地:亀岡市保津町


香気娘

香気娘 (こうきむすめ)


昔、京の僧が石川村(現・与謝野町石川)の近くを歩いていると、川から良い匂いが漂ってくることに気づいた。
怪しんだ僧は川に沿って上流へと進んだ。川を遡るにつれて、香気はどんどん強くなっていく。
山奥の姫路谷という所まで辿り着いた時、十歳位(七歳とも)の「小萩」という名の女児と出会った。
とても美しい顔立ちをした女児で、香気は小萩の体から発せられているものだとわかった。
小萩は村の貧しい家の夫婦が天に祈って生まれた子供で、香気は彼女が生まれた瞬間から漂うようになったという。
僧はただちに小萩の親に会い「このような美女を山奥に置いておくのは勿体ない。都に行けば必ず立身出世するだろう」と勧め、彼女を京へと連れて帰った。
やがて香気を放つ娘の話は朝廷にも伝わり、後に彼女は天皇の妃になったと言われている。

『丹後郷土史料集 第一輯 丹哥府志』「與謝郡 第二 加悦の庄 香河村」
『丹後史伝 史実と伝説集 3』「香河村(与謝郡石川村香河)」より
他多数


妖怪変化の類ではないのですが、珍しい話なので紹介することにしました。
この姫は第五十三代淳和天皇の次妃で、後に空海の弟子となった如意尼のことではないかと考えられています。

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